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「ヘロデの尋問」(ルカによる福音書23:6〜12)

  「ヘロデの尋問」

 2022年1月30日(日) 復活節前第11主日 

聖書箇所:ルカによる福音書  23章6節~12節

これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。 この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。

 

 ユダヤ教エルサレムの指導者であるユダヤの最高法院の議員たちは、イエスを死刑にするため、ユダヤ属州総督のピラトに、ローマに対する反逆罪で訴えました。

 しかし、ピラトは、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と判断します。

 けれども、それではエルサレムの指導者たちは納得できません。彼らは言いつのります。

「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を煽動しているのです。」

 指導者たちはイエスを死刑にしたいのです。当時ユダヤは、ローマ帝国の属州となっていたので、イエスを死刑にするためには、ローマ帝国に対する反逆罪としてユダヤ属州総督のピラトに死刑の許可をもらわなくてはなりません。ですから何としてもこのナザレのイエスが、ローマに反逆する危険人物であると認めてもらう必要があります。最初の訴えも、

「この男が、わが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また自分が王たるメシアだと言っている」と、ローマの法律に背いて、税金を皇帝に納めることを禁じている。そして、ローマ皇帝ではなく、自分が王なのだと言っている。さらに、ガリラヤからエルサレムまで、全国で教え、ユダヤローマ帝国からの独立運動に民衆を扇動している、と訴えるのです。「この男を死刑にしなければ、暴動が起きるかもしれない」と訴えたわけです。

 ピラトはこれを聞いて、この人はガリラヤ人かと尋ね、そしてヘロデの支配下の者であることが確認できました。ちょうどこのころ、タイミングよくヘロデがエルサレムに滞在していたので、エルサレムにいるヘロデのもとへとイエスを送りとどけました。

 

 ここに出てくるヘロデは、イエスが生まれたときに王であったヘロデ大王と呼ばれる人物の2番目の息子です。兄である長男が王であったとき、大変ひどい政治をして、ローマ皇帝によって追放され、ユダヤは、ローマ皇帝直属の総督が派遣されるようになりました。

領土は他の兄弟たちと四分割して、ヘロデは、ガリラヤとペレヤを治める領主、つまり自分の持ち分である所有地にいる住民に対して政治的支配権をもつ大土地所有者となりました。

ガリラヤの領主であるヘロデは、このとき、過越の祭のために、エルサレムに滞在していました。

 ヘロデは、送られてきたイエスを見て非常に喜びました。かねてからイエスのことを聞いていたので、会ってみたいと長い間、思っていました。さらにイエスに何か奇跡を行ってもらい、それを見たいと望んでいました。ヘロデがイエスのことを聞いていたのは、ヘロデがバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の首を切って殺した後、マルコによる福音書6章の14節から16節によりますと「「14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」 15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。 16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。」と記されるようなことがあったからです。そして、ついに、イエスに会うことが実現しました。

 

 しかし、実際にイエスに会ってみて、いろいろと質問を試みましたが、イエスは何もお答えになりませんでした。

 祭司長たちと律法学者たちはここでも激しい語調でイエスを訴えました。そしてヘロデも自分の兵士たちと一緒になって、イエスを侮辱したあげく、派手な服を着せてピラトへ送り返したのです。

 ヘロデとピラトとは、これまでは互に敵視していましたが、この日を境に、イエスの扱いを通じて、親しい仲になったと聖書にしるされています。敵視していたというのは、ヘロデは兄が追放された後、ついに自分が王に任命されると期待していましたが、ローマ皇帝の判断は、子どもたちを王にはしないで、ユダヤを皇帝の直轄地として、四分割して、領主にするというものでした。ですから、ヘロデは皇帝から派遣された総督ピラトが気に入りませんでした。それがこの日イエスの扱いを通じて、親しい仲になったというのです。

 

 イエスエルサレムに来られてから、毎日神殿の境内で教えておられました。ルカによる福音書は20, 21章には、イエスが教えられた内容が記されています。そして最高法院での裁判、ピラトの前での裁判の場面でも、はっきりと答えられたのに、ヘロデの前では、イエスは何もお答えになりませんでした。

 最高法院で「お前がメシアなら、そうだというが良い」と問われたとき「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」と答えられました。また23章の3節でピラトから「おまえがユダヤ人の王なのか」(23:3)と尋問されたときも「それは、あなたが言っていることです」(23:3)と答えています。これは、わたしたち一人ひとりがイエスを前にして、イエスが何者であるかを判断し、告白するということを示しています。今、イエスは、わたしたち一人ひとりの答えを待っておられるのです。

 イエスは、無力な一人の人間として、裁判に引き出されています。今、イザヤが預言したように沈黙してそこに立っておられます。イザヤは言います。イザヤ書53章の7節「苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。」

 

エス キリストは、神の言葉を体現してここに立っておられます。

 

 イエスは、人々が期待する力強いヒーローのような姿をしていません。しかし、何百年も前から預言者が語っていたとおりの姿で、人々の罪を負い、神に裁かれる者として、神の言葉を体現してイエスは立っておられます。神の言葉が真実であることを、身をもって示しておられます。

 

 今も事あるごとに大勢のコメンテーターと呼ばれる人たちがうるさいぐらいに語ります。さらにインターネットの世界では、匿名でたくさんの人がいろいろなことを批評し、時には罵詈雑言がネットの世界を埋め尽くすかのように語られます。しかし、最も大切なことは、わたしたち自身が神の御前で、どのように応え、どう生きていくかなのです。つまり神ご自身は、自らの言葉を真実なものとなさり、ひとり子イエス キリストを救い主として世に遣わされました。イエスは今、わたしたちの罪を負って、神に裁かれる者として十字架の道を進んでおられます。このイエス キリストに対して、わたしたちは何者と言うのか。わたしたちはこのイエスをどのように扱い、どのように生きていくのか。そのことが問いかけられ、その答えをイエスは待ち続けておられます。

 

 イエスは今、ご自身の命をかけてわたしたちの前に立っておられます。わたしたちはこのイエスを前にして何と応えるのでしょうか。 祈ります。