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「神と共に生きる生きた信仰」(ルカによる福音書23:26~31)

  「神と共に生きる生きた信仰」

 

  2022年2月20日(日) 復活節前第8主日 

聖書箇所:ルカによる福音書 23章26節~31節

 

 イエスは十字架に付けられるために処刑場へとひかれて行きます。

 

 十字架に付けられる犯罪者は、自分で自分の十字架を処刑場まで運びます。しかしイエスには、もう十字架を運ぶだけの体力がありませんでした。イエスを連れて行く兵卒たちは、途中で過越祭のために郊外からやってきたシモンというキレネ人を捕らえて十字架を負わせました。

 

 キレネというのは、エジプトの西の海岸にあるギリシャの植民地だと言われています(新共同訳聖書 聖書辞典、新教出版社)。当時、キレネにはギリシャ語を話すユダヤ人が多く暮らしていたと考えられています。この福音書の編纂者であるルカが、ルカ福音書に続いて編纂した使徒言行録13章の1節にもキレネ人という言葉が出てきます。

 

 先週の○○先生によるローマの信徒への手紙の説教でもシモンについて述べられましたが、ルカ福音書でシモンという名前まで出ているのは、彼が後にキリスト者となり、教会でよく知られるようになった可能性が考えられます。マルコによる福音書の同じ記事では、アレクサンドロとルフォスというシモンの二人の息子の名前も記されています。何が用いられ、キリストと出会い、信仰に導かれるかは、人の思いを超える神の御業です。

 

 

 さて27節「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。」と聖書は記します。民衆というのは、ピラトに対して、「その人を殺せ」「十字架につけよ」と叫んだ民衆だけではないように思います。「嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して」というのは、イエスが「エルサレムの娘たち」と呼びかけておられるとおり、エルサレムに住んでいる人々です。

 

 イエスの逮捕は、夜中に行われ、夜明けと共に裁判が始まりました。夜の間の出来事は、エルサレムでは知らされずに、夜が明けてから、噂が広まっていったものと思われます。

 

エスが十字架に付けられたのが午前9時だったとマルコによる福音書15章の25節にありますから、イエスが処刑場にひかれて行ったのは午前8時ぐらいでしょうか。朝起きて、外に出ると、イエスの逮捕、処刑の噂が流れてきて、通りに出てみると鞭打たれ(マルコ 15:15, マタイ27:26)傷つき疲れたイエスが処刑場へと引かれて行く光景を目にしたのではないでしょうか。

 

特に女性たちは悲しみ嘆きました。そしてイエスに従っていったのです。

 

 ですから民衆が「その人を殺せ」「十字架につけよ」と叫んだとありますが、民衆すべてがそのようにしたのではないのだろうと思います。祭司長たちの命令で集められた者たちが扇動されて、そのように叫ぶ。けれどもその他にも大勢の人々がエルサレムにはいて、イエスが逮捕され処刑されるという話を聞き、衝撃を受けた人も大勢いたんだと思います。

 

 

 するとイエスは、女性たちの方を振り向かれます。ペテロが三度知らないと言った後で振り向かれたように、イエスは、振り向かれます。そして語りかけられます。

 

 28節、29節「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。」

 

 この後、エルサレムには裁きが臨みます。自分の愛する子どもたちが裁きに巻き込まれて苦しむのを悲しむ日が来る、だから「自分と自分の子供たちのために泣け。」とイエスは言われるのです。「『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」と言われるのです。ヨハネによる福音書3章18節には、「信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである」と書かれています。救い主であるイエスを拒絶した罪が何をもたらしたのかを知る日が来るのです。

 

 それは、今生きているわたしたちも同じです。大変豊かな社会に生きていますから、神など信じなくても生きていける、と多くの人は感じています。けれどもキリストの福音が伝えられ、それに対して心を開かず、神に背を向けて生きた結果、罪が何をもたらすのかを知る日が一人ひとりに来るのです。必ずすべての人生に、この世では、死が訪れます。 

 

その死に向かう中で、あるいは死に飲み込まてしまった後で、キリストの福音が何であったのか、なぜ救いが必要だと言われていたのか、そのことを知る日がやって来るのです。

 

 「そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。」と30節は述べています。

 

つまり、もう死んだ方がましだと思える裁きに遭う日が来るのです。

 

 続く31節「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか」。とあります。罪は、周りを巻き込みます。十戒でも「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」と、出エジプト記20章5節に記されています。

 

神に従わない者が、一家の長であったとき、神に従わなかった結果が、子や孫を巻き込んでいくのです。ここにいる女性たちは、イエスが十字架に付けられるのを悲しみ嘆いてやまない女性たちです。彼女たちはイエスを拒絶していません。それでもエルサレムの指導者たちの罪に対する裁きに巻き込まれてしまう日が来るのです。 

 

 イエスが山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ 5:9)と語られました。平和をつくり出すとは、裁きに巻き込まれ、悲しむ人を生み出さないように仕えることです。

 

 31節の「生の木」は、イエスとイエスに従う者たちを指します。「枯れた木」は、イエスを拒絶した者たちです。イエスご自身、そしてイエスに従う者たちも罪の裁きに巻き込まれていく。神と共に生きる者たちがそうであるならば、一体イエスを拒絶した者たち、「枯れ木」はどのようになるのであろうかという問いかけをイエスはされたのです。

 

 イエスが十字架に付けられたのが紀元30年頃と考えられています。それから40年経った紀元70年、エルサレムはローマ軍によって完全に破壊されました。そして、ユダヤ人は、国を失った流浪の民となり、世界に散らされました。

 

 ユダヤ人たちは、既に一度、神の裁きによって国を失いました。かつて存在したイスラエル王国は、北と南に分裂し、北イスラエル王国は、紀元前722年にアッシリアに征服されました。そして南ユダ王国は、紀元前586年に新バビロニアによって滅ぼされ、住民はバビロンに捕らえられていきました。バビロン捕囚と呼ばれる出来事です。この国が滅びる歴史は、旧約聖書の列王記、歴代誌に記されています。またその時代に立てられた預言者たちの書によっても伝えられています。ユダヤ人たちは誰もが神の裁きを知っています。しかし、知っているというだけの知識では再び裁きへと向かってしまいます。神と共に生きる生きた信仰が必要なのです。自分の知識や経験を絶対視しないで、何度でも繰り返し悔い改め、神に立ち帰り、神と共に新たに歩み出す生きた信仰が必要なのです。裁きや滅びに至る信仰ではなく、神の御前に悔い改めていく生きた信仰が必要なのです。

 

 

 神は、私達が神と共に生きるための生きた信仰を育むために、主の日の礼拝を定めてくださいました。週ごとに悔い改め、神に立ち帰っていくのです。神の言葉によって、新たにされ続けていくのです。だから、どんなに素晴らしい信仰の書があっても、インターネットやテレビやラジオで、聖書や神学の知識を学ぶことができたとしても、神が建て給うキリストの教会に連なり、礼拝を献げていくのです。

 

 教会に来て、聖書や信仰の知識が増えたとしてもそれだけでは決して信仰は育ちません。聖霊なる神が、働いてくださって、信仰を新たにし、育んでくださることを、祈り求め、神と共に生きる信仰を育んでくださることを祈り求めていく信仰が必要です。礼拝と共に、一人ひとりが神を祈り求めることが、大切です。

 

 

 イエス キリストは、わたしたちが新しく生きることを願って、振り返ってくださいます。語りかけてくださいます。

 

 神と共に生きることを祈り求めましょう。悔い改めて、神に立ち帰ることを求めましょう。聖霊なる神が、わたしたちを新しくしてくださり、信仰から信仰へと生かしてくださることを求めていきましょう。神は、わたしたちの救いを、世界の救いを、願っていてくださいます。