聖書通読のために 71
マタイによる福音書 8章 16~17節(新共同訳)
一日の仕事が終わり、夕方になると、人々は悪霊に取り憑かれた者をイエスの許に大勢連れてきた。
悪霊に取り憑かれたとはどんな状態だろうか。ここでは「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた」とあり、成就したというイザヤの預言は「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」とあるので、ここでは悪霊に取り憑かれるというのは、病気になるということであろう。
イエス自身が病気になったという記述はないが、「患いを負い、病を担った」というのは癒やしをするということなのだろうか。ヘブライ 5:2には「大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので・・・思いやることができるのです」とあるので、その病の痛み、苦しみ、悲しみをご自分のものとして理解し受け止めてくださったということではないかと思う。病の根本にある罪から解放するために、自らの命を献げられたことを示しているのだろう。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)