聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

ゼカリヤ書 6:1〜8

家庭礼拝暦 (2018年5月12日)

ゼカリヤ書 6章1~8節


さあ地上を行き巡れ(7節)

 ゼカリヤに示された第八の幻です。馬に引かれた四両の戦車が、神の御前から天の四方に向かって出て行きます。この戦車、馬は「天の四方に向かう風(ルーアハ、霊、息)」だと言われます。この神の風(霊)は、地上を行き巡ります。
 神の風(霊)は、神の民イスラエルを超えて全世界を包みます。創造の時(創世記 1:1)のように地を覆います。そして、神の霊は北の国に留まります。異邦人のただ中で、神の霊は働き始めます。
 これは、救いの完成に向けて、全世界で神の御業がなされることを示す幻です。神は、新たに歩みを始めるイスラエルに、神の御業の未来をお示しになりました。神の民は、神の幻に導かれ、支えられて歩むのです。


ハレルヤ

 

ゼカリヤ書 5:5〜11

家庭礼拝暦 (2018年5月11日)

ゼカリヤ書 5章5~11節


エファ升の中に投げ返し、エファ升の口に鉛の重しを置いた。(8節)

 ゼカリヤに示された第七の幻です。今回はエファ升が登場します。1エファは23リットルです。その升の中には、邪悪を表す一人の女が閉じ込められています。こうのとりのような翼を持つ二人の女が、この升をシンアルの地の神殿に置くため運んでいきます。シンアルの地は、かつてバベルの塔が築かれたところです(創世記11章)。神に並び立とうして裁かれたところに、邪悪を祭った神殿が作られようとしています。神と並び立ち、神から自由になろうとする罪があるのです。
 邪悪を「エファ升の中に投げ返し、エファ升の口に鉛の重しを置いた」のは、御使いです。神の助けなしにこの邪悪、罪を制することはできません。この罪は全地を見て、伺っています(6節)。神の民は、神の名を呼び、神の助けを祈り求めながら歩んで行く必要があるのです。


ハレルヤ

 

ゼカリヤ書 5:1〜4

家庭礼拝暦 (2018年5月10日)

ゼカリヤ書 5章1~4節


全地に向かって出て行く呪いである。(3節)

 ゼカリヤに示された第六の幻です。一つの巻物が飛んでいます。その大きさは、9メートル×4.5メートルという巨大なものです。御使いは「これは全地に向かって出て行く呪いである」と告げます。盗む者、偽り誓う者をを一掃する呪いです。これは神の義を打ち立てる神の裁きです。神の国の到来を指し示すものです。
 神の御業は、信じることを生み出します。共に神を信じる。共に神に従うことからくる信頼によって、共に生きる。盗みと偽りは、信じることを生み出す神の御業を妨げるものです。神の国は、すべての者が喜び生きることのできる世界です。神は、盗みと偽りを一掃し、神に従う者に喜びに満ちた希望を与えてくださるのです。


ハレルヤ

 

ゼカリヤ書 4:1〜14

家庭礼拝暦 (2018年5月9日)

ゼカリヤ書 4章1~14節


ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。(6節)

 ゼカリヤに示された第五の幻です。ゼカリヤは御使いに問われ、自分が見た幻を語ります。しかしゼカリヤには、幻の意味が分かりません。ここで御使いは、ゼルバベルに向けられた主の言葉を語り出します。ゼルバベルは、神殿再建工事の監督を務めていました。ゼルバベルは、主の霊によって再建工事をなしていきます。枯れた骨に命をもたらす神の霊(エゼキエル 37章)によらずしては神殿再建、神の民の新たな出発はならないのです。
 ゼカリヤの見た燭台は世の光(マタイ 5:14)としての神の民なのです。その燭台に油を注ぐのが、二本のオリーブの木が示している油注がれて神の務めに立てられた大祭司ヨシュアであり、ゼルバベルなのです。民が神の御前に出るために仕える祭司と、世の具体的仕事を神の霊によって進める者とが共に働いて、神の民は光を照らす務めを担っていくことができるのです。


ハレルヤ

 

ゼカリヤ書 3:1〜10

家庭礼拝暦 (2018年5月8日)

ゼカリヤ書 3章1~10節


わたしはお前の罪を取り去った。(4節)

 ゼカリヤに示された第四の幻です。サタンが大祭司ヨシュアを告発する者として立っています。ヨシュアの側に立つのは主の御使いです。ヨシュアは裁きの苦難を生きてきた汚れた衣を着ています。御使いは晴れ着を着せ、清いかぶり物をかぶせます。御使いは言います。「わたしはお前の罪を取り去った」。
 罪と汚れを取り除くのは、神の御業です。神だけがおできになります。それは神と共に歩ませるための御業です「もしあなたがわたしの道を歩み/わたしの務めを守るなら/あなたはわたしの家を治め/わたしの庭を守る者となる。」そして、神と共に歩む者は、神を証しし、神のしるしとなります。何のしるしか、救いの御業のしるしです。神は「一日のうちにこの地の罪を取り除く」と言われます。神の民の守る務めは、キリストの贖いを指し示します。そして、救いが成就する「その日には」互いに呼びかけて、神の恵みを共に喜び合うのです。


ハレルヤ