ゼカリヤ書 2:5〜17
家庭礼拝暦 (2018年5月7日)
ゼカリヤ書 2章5~17節(口語訳 2章1~13節)
わたしはその中にあって栄光となる(9節)
ゼカリヤに示された第三の幻です。ひとりの人が測り縄を手にしています。エルサレムを測るためです。これは、エルサレムの城壁を再建するためだったのでしょう。
ゼカリヤはこの人に告げるよう命じられます。エルサレムは従来のような壁によって守られるのではなく、神ご自身によって守られることになる。そして、神がその中にあって栄光となる。神がわたしこそあなたを守り救う神であることを告げられます。
神は言われます。「わたしは来て、あなたのただ中に住まう」。
神は、共におられ、ただ中におられます。生きておられ、御業をなされるお方です。この活ける真の神に出会う人は、神の言葉を告げた者が、神から遣わされたことを知るようになるのです。そうして民は神の声を聞き、神を喜んで生きるように導かれるのです。
ハレルヤ
ゼカリヤ書 2:1〜4
家庭礼拝暦 (2018年5月6日)
ゼカリヤ書 2章1~4節(口語訳 1章18~21節)
主はわたしに四人の鉄工を示された(3節)
ゼカリヤに示された第二の幻です。四本の角が現れます。けれど、現れるのは角だけで、何の角かは分かりません。角は力の象徴として用いられます。
ゼカリヤが御使いに尋ねると、神の裁きをもたらした角であることが分かります。しかしそこには、四人の鉄工がおり、四本の角を切り倒すのです。
預言者に聞かず、神に立ち帰らず、力に頼った神の民は、力に滅ぼされ、神の民を滅ぼした世の力は、神に滅ぼされます。
神は「彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし/イスラエルの聖なる方を仰がず/主を尋ね求めようとしない」(イザヤ 31:1)「力を捨てよ、知れ/わたしは神」(詩編 46:11)そして「人間の与える救いはむなしい」(詩編 108:13)と言われました。
神はご自分の言葉が出来事となり、真実であることをこの幻によって示されました。
ハレルヤ
ゼカリヤ書 1:7〜17
家庭礼拝暦 (2018年5月5日)
ゼカリヤ書 1章7~17節
主は・・再び選ばれる(17節)
ゼカリヤに示された第一の幻です。
民の傍らに立ち、神に執り成す者がいます。わたしたちは罪を積み重ねるので、安らかな暮らしを失ってしまいます。神に裁かれるばかりのわたしたちには、真実に執り成してくれる者が必要です。捕囚が終わって、新しい歩みを始めた旧約の民はもちろん、現代に生きるわたしたちも執り成してもらう必要があります。そしてこの執り成す者は、イエス・キリストを指し示します。
キリストは永遠の祭司であられ、神の右にあって執り成し続け、キリストにあって神に立ち帰る者を救ってくださいます(ヘブライ 7:24~25、ローマ 8:34)。
わたしたちは、真実な執り成す者、唯一の仲介者(仲保者)イエス・キリストによって、再び神の恵みを受け、再び慰められ、再び選ばれるのです。
ハレルヤ
ゼカリヤ書 1:1〜6
家庭礼拝暦 (2018年5月4日)
ゼカリヤ書 1章1~6節
わたしに立ち帰れ(3節)
ゼカリヤは、ハガイと同時期に主の言葉を語り出します。
ゼカリヤは「先祖のようであってはならない」と語ります。神は先祖たちにも預言者を通して「立ち帰れ」と語りかけられました。しかし彼らは神の言葉に耳を傾けず、聞き従いませんでした。そして、国は滅ぼされ、多くの民はバビロニアに連れて行かれました。先祖たちはそこまで至ってようやく立ち帰りました。
それから60年あまり、民はまたしても神から離れ、預言者から「立ち帰れ」と言われねばならなくなってしまいました。罪を抱えたわたしたちは、絶えず悔い改めなければ、神から離れていく一方なのです。神自らわたしたちの許に立ち帰り、共にあろうとしてくださっています。わたしたちは、命の源である神の御前に立って、神と共に生きる者として創造されたのです。
ハレルヤ