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聖書の言葉を聴きながら

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教理による黙想の手引き 09

教理

教理による黙想の手引き 第9回
日本キリスト教会発行 福音時報 2015年9月号掲載
 掲載時のコーナータイトルは「教理を学ぶ - 説教で聞く教理 -」)

 

「選び」

「神はキリストにあって・・わたしたちを祝福し・・キリストにあってわたしたちを選び・・神の子たる身分を授けるようにと・・愛のうちにあらかじめ定めて下さった」(エペソ人への手紙 1章 3~5節 口語訳)

 

 神の民は、神の選びによって存在します。そして神の選びには、目的があります。
 申命記にはこう記されています。「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。」(申命記 7:6)そしてこう言われます。「それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。」(同 7:9, 10)

 罪によって神が分からなくなった罪人たちのために、神はご自身の民を選び、神を知り、神と共に生きる務めを与えられました。
 上掲のエペソ人への手紙では、「その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである」(エペソ 1:6)と選びの目的を記しています。
 またコリント人への第一の手紙では「どんな人間でも、神のみまえに誇ることがない」(1コリント 1:29)ように、神は「知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれた」(同 1:27, 28)と言われます。「それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおり」(同 1:31)です。

 神の選びは、神を知り、神を誉め讃え、神を誇りとし、身を低くして神に従い生きるためのものです。そのために、神は数の少ない民を選び(申命記 7:7)、愚かな者・弱い者・無きに等しい者を選び(1コリント 1:27, 28)導いてこられました。
 神は、ご自分の民との交わりを通して、ご自身の愛と真実を証ししてこられたのです。神はこのようにして、ご自分が民の誇りとなってくださいました。

 選びは、神の救いの御業です。わたしたち一人ひとりの救いの根拠が、神ご自身にあることを明示するものです。そして、救いの根拠が神ご自身にあるからこそ、わたしたちの救いが揺るぎないものであることを確信することができるのです。

 選びには、目的があります。選びの民は、その目的のために仕えます。「飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(1コリント 10:31)と言われているように、全生活、全生涯を通して仕えていきます。
 そこでは、自分の小ささ、足りなさは問題になりません。神ご自身が目的のために、そのような者たちを選んだと言われているのですから。
 また、選んだ方が、用いてくださるのですから何の心配もいりません。祈りつつすべてを委ねていってよいのです。「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」(同 15:58)

「わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。」(エペソ 1:11)
 その目的「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。」(同 1:10)

 神の目的の実現。まさにそこにおいてこそ、わたしたちの救いは成就します。
 わたしたちは今、神がお造りくださった「わたし」という存在のすべてを通して、救いの御業に仕えているのです。

ハレルヤ