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聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

ルカによる福音書 1:1〜25

2015年12月6日(日)主日礼拝(待降節第2主日

 

聖書箇所:ルカによる福音書 1:1〜25(口語訳)

 

 ルカは今、救い主についての物語を語ろうとしています。
 わたしたちは、物語によって出来事を理解し、人に伝達します。
 子どもが楽しいことがあったとき、どんなことがあったか、親に物語ります。病気になったとき、医者に自分がどんな具合なのか物語ります。自分の思いを理解してもらいたいとき、人は自分の思いを、どうしてそういう思いを抱くようになったかを物語ります。人は、物語によって出来事を理解し、人に伝達します。
 今、ルカは救い主について伝えるために、救い主の物語を語り出します。

 時は、ユダヤの王ヘロデの時代。ザカリヤという祭司がいました。妻の名はエリサベツ。二人とも神の御前に正しい人でした(6節)。主の戒めと定めとを落ち度なく行っていました。しかし、二人には子どもがありませんでした。
 神の民イスラエルは、救い主の到来を待ち望んでいました。そのイスラエルにとって、子どもがないということは、その家系が救い主の誕生に用いられない、ということでした。子のない夫婦は、神に当てにされておらず、神の御業のために用いられないと見られていたのです。
 そして二人は年老いており、子どもが生まれることは期待できませんでした。

 ある時、ザカリヤの属する組が神殿で仕える順番が回ってきました。慣例により、くじを引いたところ、ザカリヤが聖所に入って香を焚くことになりました。香を焚いている間、神殿に来ていた人々は、外で祈っていました。
 するとその時、主の御使、天使が現れ、香檀の右に立ったのです。
 ザカリヤは怖じ惑い、恐怖の念に襲われました。
 天使は語ります。「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。」(13節)天使は洗礼者ヨハネバプテスマのヨハネザカリヤ夫婦から生まれることを告げたのです。
 天使はさらに告げます。「彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう。」
 生まれてくる子ども、ヨハネは、「主のみまえに大いなる者」となり「母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされ」「イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせ」「整えられた民を主に備える」であろうと言われます。つまり、主の御心により、主の御業に仕える務めを与えられて生まれるのです。
 天使の言葉には旧約の預言者エリヤの名前が出て来ます。エリヤは紀元前9世紀に北イスラエル王国で活動した預言者です。経済が栄え、神よりも富みに信頼し、偶像礼拝が広がる時代に、真の神を指し示し、王アハブさえ非難した預言者です。それ故に、アハブの妻イゼベルから命を狙われることになります。逃亡生活の中で、エリヤは神の「静かな細い声」(列王紀 上19:11〜18)を聞くことになります。エリヤの地上の生涯の終わりについてはこう書かれています。「火の車と火の馬が現れて・・エリヤはつむじ風に乗って天に昇った」(列王紀 下2:11)エリヤは生きたまま天に上げられた希有な人物です。そして旧約最後の預言書マラキ書には「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」(4:5)と記されています。天使は、ヨハネこそマラキが告げたエリヤであることを告げたのです。
 ヨハネもまた領主ヘロデ・アンティパス非難し、ヘロデ・アンティパスの妻ヘロデヤの奸計により非業の死を遂げることになります。「聖霊に満たされ」「主のみまえに大いなる者」とされたヨハネですが、それは人間が考える幸せな生涯とは違います。主に従い、主に委ね、主に導かれ、用いられる生涯でした。それは、後に来られるイエス・キリスト、その生涯と十字架を指し示すものでもあります。

 さて、ザカリヤは天使に応えます。「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」(18節)ザカリヤは天使の言葉が信じられません。普通わたしたちだって信じられません。けれど、祭司であるザカリヤはアブラハムのことを知っていたはずです。
 創世記18章にアブラハムの息子イサクの誕生が告げられる場面があります。「主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。・・「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。(18:1, 10〜15)
 ザカリヤは祭司であり、信仰深い正しい人です。アブラハムのことはよく知っていました。けれど、信じられないのです。神の御業はことほどわたしたちの思いを超えているのです。

 天使は答えます。「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」(19〜20節)
 これは一言でいうならば「黙って見よ」ということです。この「見よ」という言葉は聖書の中で何回も出てきます。神の御業を指し示し、神が生きて働いておられることを証しする言葉です。天使はザカリヤに告げます。「ザカリヤよ、信じられないのであれば、沈黙して、主の御業を見よ。主は全能の神、救いの神であられる。」

 ザカリヤは聖所から出てきましたが、物が言えませんでした。人々はザカリヤが聖所内で神が示された幻を見たのだと悟りました。

 その後、ザカリヤの妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていましたが、「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と告白しました。
 まだエリサベツは、神のご計画を知りません。しかし、神が御業を始められ、顧みられないと思っていた自分が用いられたことを知りました。エリサベツは、それを告白したのです。

 わたしたちには、荒唐無稽な物語に思えます。しかしルカは、わたしたちの思いを超える神が、わたしたちの救いのために生きて働かれ、今も生きて働いておられることを伝えようとしているのです。ルカはそのために口伝を調べ、収集しました。「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。」(1〜4節)
 これは、わたしたちが神の救いの出来事に与り、救いの恵みの中に生きるために、神が与えてくださった物語です。この救いの物語によって、わたしたちは救い主イエス・キリストと出会うのです。

 

以上