聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

ゼカリヤ書 13:1〜9

家庭礼拝暦 (2018年5月21日)

ゼカリヤ書 13章 1~9節


「主こそわたしの神」と答えるであろう。(9節)

 「その日」神の御業はなされます。神が「彼こそわたしの民」と言い、民は「主こそわたしの神」と答えることを目指して御業はなされます。
 罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれます。数々の偶像の名が取り除かれます。(偽)預言者たちも汚れた霊も追い払われます。預言者たちは、自分の幻のゆえに恥を受けます。
 神の義を立てるため、神との正しい関係の中で生きることを造り出す神の裁きが行われます。裁きは滅ぼすためではなく、「主こそわたしの神」と告白する民を生み出すためになされます。
 神を喜べる人は幸いです。神の御業に望みを抱くことができる人は幸いです。神はその恵みに与るように、すべての人が神の招きの声を聞けるように、ご自身の民を通して語り続けていてくださるのです。


ハレルヤ

 

ゼカリヤ書 12:1〜14

家庭礼拝暦 (2018年5月20日

ゼカリヤ書 12章 1~14節


独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。(10節)

 イスラエルに対する主の言葉が、託宣として告げられます。
 「その日」と言って、救いの御業の完成のためになされることがつげられます。神が、ご自身の民のために戦われます。主が盾となってくださり、救ってくださいます。民が救われたこと自体、神を証しします。「ダビデの家は・・主の御使いのようになる。」
 神が裁きをなさるとき、ご自身の民には憐れみと祈りの霊が注がれます。いよいよ神に依り頼み、神ご自身のもとに踏みとどまるためです。そして裁かれる者たちは「独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲し」みます。まるで出エジプトを思い起こし、キリストの十字架を指し示すような出来事です。裁きの嘆き悲しみは、執り成しを受けて、神に赦していただき、癒やしていただかなければなりません。罪から救ってくださるのは、神ご自身であり、その神を証しするのが、神の民なのです。


ハレルヤ

 

ゼカリヤ書 11:1〜17

家庭礼拝暦 (2018年5月19日)

ゼカリヤ書 11章1~17節


災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは。(17節)

 神はよい羊飼いを与えてくださいます。しかし罪の世は、悪い羊飼いを生じます。神は彼らを退けますが、彼らも、神を嫌います。神が与えてくださる「好意」と「一致」の恵みを台無しにします。彼らは見失われたものを尋ねません。若いものを追い求めません。傷ついたものを癒やしません。立っているものを支えません。よい羊飼いは、羊に慈しみを注ぎますが、悪い羊飼いは、羊の肥えたものの肉を食べ、ひづめを砕きます。彼らは、羊を見捨てます。
 わたしたちが抱える罪は、神から離れ、神から自由になろうとします。それ故、自ら悪い羊飼いを求め、悪い羊飼いに従うことがあります。しかしそれは、裁きに至る道、悲しみの道です。だから神は「悔い改めよ。わたしに立ち帰れ」と呼びかけられます。神は失われた一匹の羊を見つかるまで探し求められます(ルカ 15:1~7)。探し求めてくださる神の声を聞く者は幸いです。


ハレルヤ

 

17日の礼拝、そして地震

17日(日)は、休暇で他の教会で礼拝を守らせて頂きました。とてもよい経験でした。
したがって、説教をしていないので、17日の説教はありません。

18日(月)、大阪難波駅から近鉄特急に乗って、帰路につく予定でしたが、地震が起こりました。
震源は大阪北部のため、大きく揺れて、電車が止まったくらいですみました。
なんば駅では地上に出るように促され、地下街はシャッターで封鎖されました。2時間ほど地上に出る階段に腰を下ろし、待ってみましたが、まだまだ時間がかかりそうだなと思い、歩いてホテルまで戻りました。
結局、大阪にもう一泊して、19日(火)に帰ってきました。
家族を亡くされた方々、被害を受けられた方々に、必要な助け、慰めが与えられますように。
アーメン