聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

聖句による黙想 45

ガラテヤの信徒への手紙 3章 14節(聖書協会共同訳)


 それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、私たちが、約束された霊を信仰によって受けるためでした。


 この14節は、13節「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖いだしてくださいました」の理由として書かれている。
 キリストが呪いを一手に引き受けてくださったので、祝福が神の民イスラエルだけでなく異邦人にまで及ぶようになった。そして父なる神がイエス キリストの名によって遣わされる聖霊ヨハネ 14:26)を信仰によって受けられるようになった。
 救いには父・子・聖霊なる神がそのすべてをもって関わってくださり、わたしたちをその交わりの中に入れてくださる。
 そしてアブラハムに与えられた祝福「あなたは祝福の基となる。・・地上のすべての氏族は、あなたによって祝福される」(創世記 12:3)を受けることにより、憎しみの連鎖と言われるこの時代の中にあって、祝福の連鎖を生み出す者とされるのである。


ハレルヤ

 

聖書 −日々味合う最高の世界遺産−

佐藤邦宏『聖書 −日々味合う最高の世界遺産−』(1999年、燦葉出版社)読了。


 著者は、1932(昭和7)年生まれ。日本福音ルーテル教会の牧師をされ、日本聖書協会の総主事を務められた。
 著者がラジオのルーテルアワーで行っていた「聖書入門通信講座」をもとに書かれた「キリスト教入門 通信講座」を書き改めたもの。聖書を神の「創造の意思」というキーワードで読み解いていく。義と霊についての話は教えられた。読んでよかった。

 

聖句で辿る聖書 98

レビ記
8章 10節(聖書協会共同訳)


モーセは注ぎの油を取り、幕屋とそこにあるものすべてに油を塗って聖別した。


 聖別するとは、神のものとして清め分かつこと。
 以前、カトリック教会の献堂式に招かれ出席したことがある。式の中で、司祭が油で壁や卓に十字を書いて聖別していくのを見た。わたしの属する教会ではこのようにすることはない。さすがは古い伝統を持つ教会だと感心したことがある。
 この箇所の小見出しは「任職式」である。わたしもかつて教師として任職された。その式の中心は、誓約であり、祝福の祈りであった。


ハレルヤ

 

日本基督教会 第二世紀の教会の課題

桑原昭『日本基督教会 第二世紀の教会の課題』(日本基督教会近畿中会連合婦人会 発行)読了。

 

 1973年に行われた近畿中会連合婦人会修養会の講演を印刷したもの。
 わたしは9歳で、教会に縁もゆかりもなかった頃。安保闘争などがあった時代で、改革を求めて神学校を退学する者が出た時代。
 まもなく55歳になり、あと何年牧師をやれるのか、これから自分は何をすべきなのか、そんなことを考えながら神学校、そして日本キリスト教会の変革の時期の声に聞いてみた。
 現在、咀嚼黙考中。

 

聖書通読のために 86

マタイによる福音書 10章 16~20節(聖書協会共同訳)


 「蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」。一体どうしたらそのようになれるのだろうか。
 さらに「何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される」「語るのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊だからである」と言われる。
 神の民は、罪の世に生きていることを知っていなければならない。イエスが罪を引き受けられたように、神から負うことを求められる罪があるであろう。けれどその中にあって、神に導かれ、神を証しする務めを与えられ、神に用いられることを信仰によって知らねばならない。


喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)