聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

聖句で辿る聖書 98

レビ記
8章 10節(聖書協会共同訳)


モーセは注ぎの油を取り、幕屋とそこにあるものすべてに油を塗って聖別した。


 聖別するとは、神のものとして清め分かつこと。
 以前、カトリック教会の献堂式に招かれ出席したことがある。式の中で、司祭が油で壁や卓に十字を書いて聖別していくのを見た。わたしの属する教会ではこのようにすることはない。さすがは古い伝統を持つ教会だと感心したことがある。
 この箇所の小見出しは「任職式」である。わたしもかつて教師として任職された。その式の中心は、誓約であり、祝福の祈りであった。


ハレルヤ

 

日本基督教会 第二世紀の教会の課題

桑原昭『日本基督教会 第二世紀の教会の課題』(日本基督教会近畿中会連合婦人会 発行)読了。

 

 1973年に行われた近畿中会連合婦人会修養会の講演を印刷したもの。
 わたしは9歳で、教会に縁もゆかりもなかった頃。安保闘争などがあった時代で、改革を求めて神学校を退学する者が出た時代。
 まもなく55歳になり、あと何年牧師をやれるのか、これから自分は何をすべきなのか、そんなことを考えながら神学校、そして日本キリスト教会の変革の時期の声に聞いてみた。
 現在、咀嚼黙考中。

 

聖書通読のために 86

マタイによる福音書 10章 16~20節(聖書協会共同訳)


 「蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」。一体どうしたらそのようになれるのだろうか。
 さらに「何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される」「語るのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊だからである」と言われる。
 神の民は、罪の世に生きていることを知っていなければならない。イエスが罪を引き受けられたように、神から負うことを求められる罪があるであろう。けれどその中にあって、神に導かれ、神を証しする務めを与えられ、神に用いられることを信仰によって知らねばならない。


喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)

 

聖句による黙想 44

創世記 32章 27節(聖書協会共同訳)

 

 ヤコブは、「いいえ、祝福してくださるまでは放しません」と言った。


 人は何を求めて生きたらよいのだろうか。ほしいものは、次々と出てくる。命を支える水、糧、愛・・。命の源である創り主なる神は、創造の始めから祝福を与えられた。わたしたちが守る礼拝も、祝福で送り出される。人は、根源的に神の祝福を必要としているのであろう。


ハレルヤ

 

聖句で辿る聖書 97

レビ記
5章 15節(聖書協会共同訳)


人が背信の罪を犯した場合、すなわち、主の聖なるものに対して過って違反したなら、主への償いのいけにえとして、羊の群れから査定額に見合う、聖所のシェケルで2シェケルの銀に相当する欠陥のない雄羊を引いて行かなければならない。


 贖罪の献げ物とともに贖罪的意味をもつ供犠。これは神または人に対する過失について、その損害を見積もり、賠償されるものに限ってなされた。(『新共同訳聖書 聖書辞典』新教出版社
 口語訳では「愆祭(けんさい)」新共同訳では「賠償の献げ物」である。「賠償の献げ物」が「償いのいけにえ」に替わった。


ハレルヤ