聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

聖句による黙想 1

ガラテヤの信徒への手紙 4章 4〜6節(新共同訳)

時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。


 神はわたしたちを神の子としてくださる。
 罪によって断たれた絆を、神は新たに親と子の命の絆として回復してくださる。幼子が呼びかけるように、わたしたちは神に「アッバ、父よ」と呼びかけ祈ることができる。
 この関係は、御子イエス キリストが人となり、救い主となってくださったことによる。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤ 3:26)わたしたちは御子の霊(聖霊)が注がれ、神の子とされている。

ハレルヤ

 

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聖句で辿る聖書 39

創世記
45章 7, 8節(新共同訳)

神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。


参照
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ 8:28)

 

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ローマ人への手紙 2:6〜11

2017年5月7日(日)主日礼拝
聖書箇所:ローマ人への手紙 2:6〜11(口語訳)

 

 パウロは4節で「神の慈愛があなたを悔い改めに導く」と言っています。
 悔い改めは、救いに欠かせない大切な事柄です。本来の意味は「立ち帰る」という意味です。神から離れてしまったことに気づいて、神の許に立ち帰る。このままでは滅びに至ることに気づいて、神の許に立ち帰る。これが悔い改めの意味するところです。
 本来、人が犯した罪であって、罪の報いを受けるのはそれこそ自業自得です。しかし、神の慈愛が神に立ち帰るための道を備えてくださいました。神ご自身が救いの御業を成し遂げてくださり、神に立ち帰る救いの道を用意してくださったのです。だからパウロは「神の慈愛があなたを悔い改めに導く」と言っているのです。

 この悔い改めにとって、気をつけなければならないのが「侮り」です。
 神は慈愛に満ちたお方だから、最後は助けてくださるんでしょ。神さまに従って生きるなんて堅苦しく考えないで、神さまは救ってくださるんだから、楽しく明るく生きていればいいんじゃないの、というような侮りです。

 そのような間違った考えに陥ることのないように、パウロは「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる」と注意しています。
 神は、わたしたちが神を愛して、神と共に生きていけるように、御子イエス キリストを遣わされたので、神を侮って神から離れて生きることをよしとはされません。

 神へと立ち帰るためには、神への正しい畏れを持つ必要があります。
 わたしたちの神に対する思いは、神の愛と真実に対する信頼と、神の正義と公平に対する畏れが必要なのです。それは丁度、子どもが親に対して、自分を愛していてくれることに対する信頼と、悪いことをしたときには厳しくしかられることに対する畏れが必要なのと同じです。そしてわたしたちは、キリストにあって神の子とされた者、主の祈りで祈っているように、神を父と呼ぶ者なのです。
 わたしたちは、神の愛と真実に対する信頼と、神の正義と公平に対する畏れを持った神の子なのです。

 だから、神への正しい畏れを持つことは、神へと立ち帰るためには必要なのです。パウロはこのことについて二度繰り返して述べています。
 一度目は「一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる」と言っています。
 ここで言われているのは、神の言葉、教えを重んじ、神からの報いを求める者には、永遠の命が与えられるということ。そして、自分を高くするために自分に従う者を求め、神と共に歩むよりも、自分の栄光を求める者には、神から怒りと激しい憤りとが与えられるということです。党派心とは、自分を高くして満足するために、自分中心のグループを作ろうとする思いです。神の前に自分を低くするのではなく、神を利用して自分を高くしようとする自己中心的な思いです。

 二度目は「悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる」と言っています。
 ここではどこの国民であろうとも、悪を行う者には患難と苦悩とが与えられ、善を行う者には光栄とほまれと平安とが与えられる、と言っています。神の公平について語られています。11節では「神には、かたより見ることがない」と言われています。

 神の公平については、聖書の他の箇所でも述べられています。
 1ペテロ 1:17「あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。」
 また2テモテ 4:8「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。」
 神の公平さ、そして罪をきちんと裁かれることが、わたしたちを悔い改め、神への立ち帰りへと導くのです。

 神の裁きは、キリストの十字架がそうであるように、そこから救いが現れてきます。しかし、だからといって裁かれれば大丈夫だなどと、侮ることは間違いです。神は裁きたがっておられるのではありません。聖書は「あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐため」(1ペテロ 3:9)だと言っています。
 神はわたしたちを救いへ、祝福へと招いておられます。神の許にこそ、わたしたちの救いがあり、喜びがあり、未来があるのです。ヘブル 3:13にはこう書かれています。「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」

 わたしたちは、神の愛と真実への信頼と、正義と公平への正しい畏れを持って、神と共に生きるのです。共に神の言葉を聞き、神の言葉に導かれて悔い改め、神の許へと立ち帰り、神と共に生きるのです。神の子とされていることを確信し喜んで、救いの道を歩んでいくのです。

ハレルヤ

 

聖句で辿る聖書 38

創世記
41章 46節(新共同訳)

ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった。


参照
ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。」(サムエル記下 5:4)
「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。」(ルカ 3:23)

 

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聖書通読のために 47

聖書通読

マタイによる福音書 6:9(新共同訳)

 

 主の祈りその3。
 「天におられるわたしたちの父よ」
 神は天におられる。天とは、頭の上に広がる空のことではなく、この世界を超えた神のおられるところを指す。
 イスラエル王国第3代の王ソロモンは、こう祈っている。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。」(列王記上 8:27)
 人間も世界も創られた神の超越性を表現して「天におられる」と言っているように思う。
 すべてを超越する神が、わたしたち一人ひとりを顧み、祈りを聞き、御業をなしてくださる。「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。」(詩編 8:4, 5  口語訳は 8:3, 4)
 目に見える世界、被造物を超越する神は、愛と慈しみに満ちたお方である。

喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)

 

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神学入門 21

神学 まとめ02
(神学入門は、この項で終了)

 

 これまで神学入門で述べてきたことの全体像を理解できるように一覧にしました。総論03で述べたように、これは一般的な神学の分類とは違います。27年間(1990年4月〜2017年3月)牧師の務めを担い、神学をする中で形成されてきたわたしの理解です。わたしは神学の専門家ではありません。牧師として教会に仕える中で、神学をしてきた一介の伝道者に過ぎません。わたしのしてきた神学は、神の民に仕える「教会の神学」です。
 わたしは牧師になるために、4年間神学校で学びました。しかし神学校のわずか数年で学ぶものは、神学の最初の一歩です。神の言葉、福音を宣べ伝える者は生涯学び続けることになります。
 学ぶ内容には際限がありませんし、ここまで学ばなければならないという基準もありません。神学を学んでみたいと思われた方は、興味のある分野の入門的な書物から読んでいかれるとよいと思います(以下に書かれた順番にこだわる必要はありません)。
 教派によって立場があるので、牧師に相談して本を推薦してもらうといいでしょう。
 神学の学びを通して、神を喜ぶ信仰が増し加えられ、喜びと確信を持って福音を宣べ伝えていけますように。
 「わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである」(ローマ 5:11 口語訳)

 

〈 神学の諸科目 〉
1 聖書学
 1-1 正典(聖書が神の言葉であるとはどういうことか)
 1-2 旧約学
  1-2-1 旧約入門(緒論)
  1-2-2 (イスラエル史)余裕と関心があれば学ぶ
  1-2-3 ヘブライ語
     (文字を見て発音し、辞書を引ける程度の基礎)
  1-2-4 旧約神学
  1-2-5 旧約釈義
 1-3 新約学
  1-3-1 新約入門(緒論)
  1-3-2 (新約時代史)余裕と関心があれば学ぶ
  1-3-3 ギリシャ
     (文字を見て発音し、辞書を引ける程度の基礎)
  1-3-4 新約神学
  1-3-5 新約釈義

2 組織神学
 2-1 教理史
 2-2 信条学(古代の基本信条は是非)
 2-3 教義学
 2-4 弁証学
   (キリスト教と異端また他宗教との違いを理解できる程度に)
 2-5 キリスト教倫理
   (離婚、自殺、性的少数者など直面するであろう問題への理解)

3 教会学
 3-1 教会学序論(教会とは何か)
 3-2 教会史
 3-3 教会法

4 任務学
 4-1 礼拝について
  4-1-1 礼拝の意味
  4-1-2 礼拝の構成要素、礼拝順序
  4–1-3 招詞、祝福(意味、どの聖句を用いるのか)
  4-1-4 祈り、讃美、献金
     (意味、どのように祈り、どの讃美歌を用いるか、
      どんな献金をし、献金額をどのように決めるか)
 4-2 牧師の務め
  4-2-1 説教
  4-2-2 聖礼典(洗礼、聖晩餐)
  4-2-3 牧会
 4-3 長老の務め
 4-4 執事の務め
 4–5 教会教育、訓練(具体的にどうするのか)
 4-6 伝道について(具体的にどうするのか)
 4-7 宣教の社会的課題
   (信教の自由、戦争、人権に対する理解)


主は生きておられる(エレミヤ 4:2 新共同訳)

 

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聖句で辿る聖書 37

創世記
41章 16節(新共同訳)

ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」


 神の民は、神を指し示す。

 

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