聖句による黙想 31
聖句による黙想
思い巡らす meditation meditado
マタイによる福音書 5章 16節(新共同訳)
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
ここは14節で「あなたがたは世の光である」と言われたところの続きである。
ここでよく使われる例えは「わたしたちは月である。自分自身では光を放つことはできない。自分で光るのではなく、太陽(つまり神)の光を受けて反射して輝くのだ」というものである。
けれど実際は、光り輝くことが努力目標となり、神を証しするように頑張ることが求められる。ここでも「輝かしなさい」と勧められている。どうしたら輝かすことになるのだろうか。
わたしたちは、輝かしたかどうか、証しになったかどうかを気にして(自己)評価をする。これをすると信仰がそれていってしまうように思う。評価をするのは神ご自身である。そして神が導き、裁き、育まれる。わたしたちは神(の言葉)に聞き従うだけである。今ある信仰で応えていくだけである。神を信じて、神の御手に委ねていくのである。
ハレルヤ
聖書通読のために 74
マタイによる福音書 8章 28~34節(新共同訳)
イエスは舟でガリラヤ湖の向こう岸、ガダラ人の地方へ行かれた。すると悪霊に取り憑かれた二人の人がやって来た。
悪霊はイエスを恐れていた。悪霊はイエスに向かって叫ぶ。「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。
自分たちの時に限りがあることを悪霊たちは知っていた。けれど、今イエスが自分たちのところに来るとは思っていなかった。時は、神の領分で、自分たちの自由にはならない。
しかし悪霊たちは全く気づいていない。彼らは豚の中に入れば大丈夫だと考えた。 悪霊に憑かれた豚の群れは、崖を下り、湖になだれ込んで死んでしまった。
こうして悪霊に憑かれた二人は、悪霊から解放された。しかし町の人たちは、二人が悪霊から解放されたことよりも、財産である豚の方が大事だったので、イエスに「その地方から出ていってもらいたい」と言った。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)
聖句による黙想 30
聖句による黙想
思い巡らす meditation meditado
箴言 2章 6節(新共同訳)
知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。
知恵は、人の中に備わっているものではなく、出来事の中で気づきを与えられ、それが語り伝えられ、多くの人生の中で検証されていくもの。日常の生活の知恵、仕事の上でのこつ、生きることを快適にするため多くの知恵がわたしたちの周りにある。
聖書は、知恵の源は主、神であると言う。その知恵は、永遠の命に導く知恵であり、神と共に歩み、神の愛で生活を満たすための知恵である。
ハレルヤ