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聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

神学入門 10

神学

神学 聖書学07

 

釈義03

 釈義では、大きく2段階の理解を求めていく。
 一つは、聖書が書かれた当時、その聖句はどういう意味を持っていたのか。二つ目は、では今はどういう意味を持っているのか、である。
 例えば、レビ記の規定の中に食べていいものと悪いものの規定がある。毒があるわけではない。今ではキリスト者も普通に食べている。その規定は、書かれた当時、また守られていた当時はどういう意味があったのか。どういう目的で、神はこの規定をお与えになったのか。そして、それが文字通り守られていない現代において、どういう意味を持っているのか。今、神はその規定から何を伝えようとしておられるのか。
 このように、釈義では2段階の理解を求めていく。

 ちなみに、上に挙げた食物規定の持つ現代的意義について、例えば、日本人はエビが好きである。日本ではエビがよく売れる。だからといって、東南アジアのマングローブ林をエビの養殖場に変えて、売れるだけエビを養殖してはならない、ということを示唆しているように思う。創世記 1:26, 28の「地を治めよ(支配せよ)」との命令は、当然神の御心に従ってなされなければならない。その際に、食物規定は大事な意味を持っていると思う。毒があるわけではない。美味しい。食べることができる。しかし、神の御心であるから食べない。これは意味のあることである。

 このような理解は、現代だから意味が出てくるのであって、200年、300年前ならば意味はなかったかもしれない。このことは、今現在、意味が分からない、意味がないように思われるからと言って、この聖書の箇所は必要ないとするのは、軽率な行為であることを示している。(これは、今現在、その御言葉の意味を理解できない箇所がある可能性を示唆している。)社会状況がどのように変わろうとも、歴史を貫いて神の御心を伝え続ける聖書に対して、聴き続ける敬意が必要である。

主は生きておられる(エレミヤ 4:2 新共同訳)

 

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