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ヘブライ人への手紙 3:1〜14

2020年12月23日(水) 祈り会
聖書:ヘブライ 3:1〜14(新共同訳)


 きょうは日曜日の説教の続きの箇所です。
 1節の「だから」は直前の2章で語ったことを指しています。イエスは、わたしたちと同じ血と肉を備えて真(まこと)に人となられた。ご自分の命を献げてわたしたちの罪を償う大祭司の務めを果たし、わたしたちを死から救い出してくださった。イエスこそ試練を受けている人たちを助けることがおできになる救い主(メシア=キリスト)である。だから「(神が)遣わされた方(使者)であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい」と言っています。

 ヘブライ人への手紙は旧約の民イスラエルヘブライ人)に向けて書かれた手紙です。もう少し詳しく言うと、イエスを信じて、キリスト者となったけれど、今まで行ってきたユダヤ教の儀式に心惹かれ、信仰が揺らいでいるイスラエルとその周囲の人たちに対して書かれた手紙だと思われます。そういう人たちに、これまでの儀式が指し示していたのはイエスであり、イエスこそ待ち望んできた救い主(メシア=キリスト)であるということを伝えようとして書かれた手紙です。

 2節からはイスラエルなら誰もが尊敬するモーセの名前を挙げて、イエスモーセよりも優れたお方であることを語ります。モーセも忠実に託された務めを果たしましたが、イエスは神の家全体を忠実に治めておられます。
 旧約の民の歴史を引き継ぐイスラエルだからこそ、旧約の約束を実現するため神が遣わされたメシア(キリスト)であるイエスを信じる。神の民が受けるべき神の祝福・恵みをイエスから受け取ってほしいという願いが込められています。

 2, 5, 6節と「神の家」という言葉が出てきます。神の家とは、神がおられる所を表します。聖書では、時に幕屋が神の家を表し、神殿が表してきました。新約の時代、教会がその務めを果たします。そして6節で「わたしたちこそ神の家なのです」と言われているように、わたしたち自身が神の家とされているのです。建物ではなく、わたしたち一人ひとりが神の住まい、神の家なのです。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(1コリント 3:16)「御父が・・その霊により・・信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ・・愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ 3:16~17)と言われているとおりです。だから、神の家を治めておられるイエスこそ、わたしたち一人ひとりを治める主なのです。
 この手紙は、イエスこそ神の家を治める大祭司、つまりイエスこそわたしたちの真(まこと)の主であり、イエスを信じイエスに従うとき、神と共に歩めることを示しているのです。

 そこで7節以下が語られます。ここは詩編95(:7b~11 ギリシャ語訳)からの引用です。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、/荒れ野で試練を受けたころ、/神に反抗したときのように、/心をかたくなにしてはならない。/荒れ野であなたたちの先祖は/わたしを試み、験し、/四十年の間わたしの業を見た。/だから、わたしは、その時代の者たちに対して/憤ってこう言った。/『彼らはいつも心が迷っており、/わたしの道を認めなかった。』/そのため、わたしは怒って誓った。/『彼らを決してわたしの安息に/あずからせはしない』と。」

 旧約の引用に対してこの手紙の著者は「聖霊がこう言われるとおりです」と語ります。著者が詩編は神の言葉であると理解していたことが分かります。
 この件(くだり)は、出エジプトの際、神がカナンの土地の偵察を命じられた際の出来事です(民数記 13:2)。偵察に行った者のほとんどが、そこに住んでいる民を恐れ「あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」(民数記 13:31)と言ってエジプトへ帰ろうとしました。ただヨシュアとカレブだけが主を信じて従うことを主張しました。そのとき神は、神に不平を言った者は約束の地に入ることはできない(民数記 14:29~30)と言われたことを、この詩編の言葉は述べています。
 引用された詩編の言葉は、神を侮ることを戒める言葉です。著者はキリストを拒んだイスラエルが頑なであり続けることがないように、詩編の言葉を繰り返して語りかけます。

 12~13節「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。」
 創造の時、神が「人が独りでいるのは良くない」(創世記 2:18)と言われたように、独りで神に従うことはできません。独り神に従えるのは、イエス キリストだけです。わたしたちには信仰を励まし合うことのできる主にある兄弟姉妹が必要です。だから神は、神の民を召し出し、教会を建て、わたしたちを神の家族、主にある兄弟姉妹としてくださいました。

 6節に「わたしたちこそ神の家」という言葉が出てきました。この家という言葉は家族とも訳されます。従って、神の家とは神の家族でもあります。
 罪はつながり、絆を破壊します。そして神の救いの御業は、わたしたちに新たなつながり、絆を与えてくださいます。
 神は、罪ゆえにバラバラになり、孤独と死に向かうわたしたちを神の家族として結び合わせ、共に生きる者としてくださいます。だからキリストの救いの御業は、キリストご自身がわたしたちの兄弟となってくださり、神を父とし、わたしたちを主にある兄弟姉妹としてくださったのです。
 教会の交わりもそのために働きます。わたしたちが一人ひとりがキリストとつながり、イエス キリストこそわたしの主ですという信仰を持ち続け、共に救いの恵みに立ち続けるために教会の交わりは用いられていくのです。

 この神が与えてくださる恵みを失わないように、著者は注意を促します。6節「もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば」14節「最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるならば」
 どちらにも「確信」という言葉が出てきますが、これはイエス キリストこそわたしたちの大祭司であり、救い主であるという確信です。そして神の民に約束された祝福が、イエスを信じるすべての者に与えられるという確信です。
 この確信を失わずに、神の恵みの中を歩み続けていけるように、神は御子イエスを遣わし、罪を贖い、わたしたちを救いの恵みへと招き続けてくださるのです。だからこそわたしたちは、大祭司イエスへと思いを向け、「今日」という日のうちに、互いに励まし合うのです。
 クリスマスは、その恵みを再確認する時なのです。


ハレルヤ


父なる神さま
 あなたは今年も御子の誕生を祝う時を与えてくださいました。新型コロナウィルスによる感染症で右往左往しているときも、あなたの約束は変わることなく、イエス キリストこそがわたしたちの大祭司であり、救い主であることをお示しくださいました。
 そしてあなたは、わたしたちが恵みの中を歩み続けていけるように、主にある交わりを与えてくださいました。わたしたちが共に、神の国へと続くイエス キリストの御跡を指し示し、共に恵みに与り、御名を喜び讃えつつ歩んでいくことができますように。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン