聖書の言葉を聴きながら

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詩編 134:1〜3

2020年7月8日(水) 祈り会
聖書:詩編 134:1〜3(新共同訳)


 詩編は、旧約の民イスラエルの祈りです。神への讃美、感謝、信仰の告白、悔い改め、願いがなされています。
 詩編は神が語りかけた言葉ではありません。民が神に語りかけ、祈った言葉です。神は、民の祈りをご自身の言葉として、旧約の中に入れられました。神が民の祈りをよしとされたのです。
 古の神の民の信仰に思いを馳せると共に、その信仰をよしとされた神の御心に思いを向けることが大切です。

 詩編 134は、表題に「都に上る歌」とあります。120篇から始まった15篇の「都に上る歌」の最後のものです。
 都に上る歌の背景として考えられるのは、エルサレムの神殿で行われる祭りに参加するため、各地の町々村々から集団で旅をします。その旅の中で詠われた詩篇であろうというもの。もう一つは、バビロン捕囚から解放されて、ひたすらエルサレムを目指して旅する中で詠われた詩篇ではないかというものです。

 この詩篇は読んでみると、エルサレムでの祭りを終えて、ふるさとへ帰るときの歌のように思います。
 「主」という言葉が5回出てきます。この言葉は今日「ヤーウェ」と読んでいたのではないかと考えられている神の名前です。祭りの最後で神への思いが溢れてくる詩篇です。
 そして神の住まいを表す語が1節「主の家」2節「聖所」3節「シオン」と連なり、自分たちの在るべき場所が神の許にあることが表れています。

 祭りを終えて帰るにあたり、民は神殿に仕える祭司たちに「主をたたえよ」と神に仕える務めを託していきます。「主の僕ら」は神殿で仕える祭司、レビ人を指します。
 「夜ごと、主の家にとどまる人々」とあります。歴代誌上 9:33を見ますと「彼らは昼も夜も果たすべき務めを持っていた」とあり、夜の務めがあることが示されています。

 イザヤ 30:29には「あなたたちは祭りを祝う夜のように歌い」と祭りは夜も祝われたことが示されています。そして「夜」は複数形なので、いく夜か続いて行われる祭り、おそらくは秋の仮庵の祭りの間ではなかろうかという解釈もあります。

 「主の家にとどまる」とありますが、新共同訳の前の口語訳では「主の家に立って」で、新共同訳の次の聖書協会共同訳では「主の家に立つ」となっています。おそらく新共同訳が「とどまる」としたのは、神殿で仕えている意味合いを出したかったからだと思います。
 ですがここは「立つ」だろうと思います。申命記 10:8には「主はレビ族を選び分けて、主の契約の箱を担ぎ、主の御前に立って仕え、主の名によって祝福するようにされた」とあります。神の御前に立つという感覚が聖書にはあるので、それをストレートに表現するのがいいのではと思います。

 2節「聖所に向かって」は「きよさ」という一語を訳したものです。場所を示しているというよりも、神殿で神の清さに与ることを意味していると思います。
 聖書の時代には、祈りは天を仰ぎ、天に両手を差し伸べてなされていました。

 この詩篇、神の祝福がメインテーマです。1節「たたえよ」2節「たたえよ」3節「祝福してくださる」は同じ動詞です。民が神に向かって祝福するというのはおこがましいので、民がするのは讃えると訳されたのでしょう。ですが、元々は同じ動詞で、神と民が呼応する様子が描かれています。これは133で「シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を」(133:3)と語られた主の御業に応答するものです。民と共にいてくださり救いを与えてくださる神を讃える。そして、神を讃える者たちを、神が祝福をもって送り出してくださるのです。
 だから礼拝も神の祝福で終わるのです。わたしたちの礼拝は巡礼と同じです。それぞれの場から、神を礼拝するために教会へと集い、救いの恵みを与えてくださる神を讃え、神から祝福されて遣わされていくのです。

 都に上る歌の一つである詩篇 121はこう問いかけ答えます。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。/わたしの助けはどこから来るのか。/わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(121:1~2)3節の「シオン」は主の許を表します。祝福は主の許から来るのです。
 そして祝福してくださる主は「天地を造られた主」と言われます。これはイスラエル信仰告白です。悲しいこと・苦しいこと、この世ではたくさんあります。けれど、天地を・この世界を造られ、治め、導かれる主がおられるという信仰の告白です。
 神の民は、主の名を呼び、主が語りかけてくださり、主に祈り求め、主が救いを与えてくださり、主の御名を讃え、主に祝福されて生きるのです。天地の造り主、命と救いの源である神との交わりに内に、神のご支配・神の国を生きていくのです。


ハレルヤ


父なる神さま
 常にわたしたち一人ひとりを覚え、御許へと招き、祝福してくださることを感謝します。古のあなたの民が、祭りの度ごとに、そしてそれだけでなく、国が滅ぼされたときも、異郷の地で囚われの身であるときも、裁きから解放され国へと帰るときも、いつもあなたに望みを置き、あなたを讃えたように、わたしたちもあなたを仰ぎ、あなたを讃えつつ歩み行く者としてください。どうかあなたが栄光を豊かに現してくださり、わたしたちを通して地に祝福を注いでくださいますよう心から祈ります。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン