聖書の言葉を聴きながら

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ローマの信徒への手紙 8:12〜14

2020年6月17日(水) 祈り会
聖書:ローマの信徒への手紙 8:12〜14(新共同訳)


 パウロは「わたしたちには一つの義務があります」(12節)と言います。
 この「義務」というのは、「神に応答する責任」あるいは「神に応答する必要」のことです。

 この責任・必要がどこから生じるのかと言うと、直前の11節で「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」と言って「わたしたちには一つの義務があります」と言っています。つまり、神がわたしたちに聖霊を与えてくださったことに対して応答する責任・必要が生じると言っているです。

 聖霊については、イエスヨハネによる福音書でこう言っておられます。「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネ 14:26)。聖霊なる神が、イエス キリストのこと、その教え、神についてを教えてくださるのです。だから聖書はこうも言います。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(1コリント 12:3)。
 さらにこうも言われています。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」(1コリント 6:19,20)。ここでも救いの業をなしてくださった神に対して応答する責任が示されています。

 神はわたしたちの救いのために、ひとり子イエス キリストを救い主として遣わし、わたしたちを罪から救い出し神の子としてくださいました。そしてキリストの御業、恵み、キリストご自身と一つに結び合わせてくださるのが、聖霊です。
 だからパウロはこうも言っています。「わたしは神に対して生きるために・・キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ 2:19, 20)。
 わたしたちの救いは、父・子・聖霊なる三位一体の神の御業によるものなのです。わたしたちと共に生きることを願い求めてくださる神の愛によって救われました。神と共に生きるための救いですから、神に応答して生きる責任・必要があるのです。

 それは聖書が言うように「肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません」。ここで「肉」というのは、神とのつながりがない状態を指して「肉」と言っています。神と共に生きるための救いですから、肉に従うことを再び求めてはいけません。肉に従って生きる、つまり神とのつながりを失って生きるならば、またもや死に飲み込まれてしまいます。パウロはローマ 7:5で「わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました」と言っています。

 わたしたちは罪の世で生きていますから、罪の引き寄せようとする力を受けています。それに引きずられて罪の中に戻ってしまうことがないように、救いに固く留まるように、神は聖書を通して絶えず語りかけていてくださいます。13節では「霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます」と言っておられます。
 「霊によって」というのは「聖霊に導かれて」ということです。わたしたちは聖霊に導かれて「イエス キリストがわたしの救い主である」ことを知りました。聖霊に導かれて、今もイエス キリストを信じています。しかし、聖霊に導かれて信仰をもってなお、罪を犯していることを知っています。
 救いは神と共に生きることですから、洗礼を受けて完成ではありません。生きている間、呼吸を続け、食事を続けるのと同じように、救いは継続的な事柄です。ですから、聖霊に導かれるのも、洗礼を受けるまでではなく、生涯聖霊に導かれ続ける必要があるのです。

 イエスは「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ 11:13)と言っておられます。聖霊に導かれて生きようと願うならば「聖霊を与えてください」と祈ることが必要です。
 救いは神の御業ですから、神に祈り求めることが欠かせません。パウロはローマ 13:12で「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」と勧めています。神が与えてくださった光の武具の第一のものが祈りです。ですから教会では、一人ひとりが聖霊の導きを求めて祈りつつ歩めるように、祈りの訓練をします。

 そして聖霊を求めて祈ることが大切なのは、14節からも分かります。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」。
 神の子とは、言葉どおり神さまの子どもです。聖書は神を父と呼び、わたしたちは神の子とされたと語ります。神とわたしたちとの関係が、親と子の関係にあると語られます。親と子は命のつながりです。互いにその存在を否定することはできない関係です。その否定することのできない命のつながりに入れられていることを、神の子という言葉は表しています。そしてその命のつながりを与えてくださるのが、聖霊です。

 神との交わりの中に、神と共に生きるところに神の子の命はあります。だから、わたしたちの命の根拠も、命の希望も、父・子・聖霊なる神にあります。それ故、わたしたちのこの新しい命は、三位一体の神に応答して生きる責任、神に応答して生きる必要がある、と聖書は語っているのです。


ハレルヤ


父なる神さま
 わたしたちに聖霊をお注ぎください。救いに生きる者としてください。あなたとの交わりに生きる神の子としてください。イエス キリストにより与えられた新しい命を失うことがないように、あなたと生きることに心を向け、信仰に生きる者とさせてください。どうかこの教会があなたと出会い、あなたと共に生きるところとなりますように。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン