聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

はじめてのカテキズム 問い5

2020年5月3日(日)主日礼拝  
聖書:申命記 6:4〜5
   詩編 22:5〜6(新共同訳)


 現在、新型コロナウィルス感染拡大の状況を鑑み、礼拝堂に共に集うことを控えております。この間、アメリカ合衆国長老教会が子どもたちのために作成しました『はじめてのカテキズム』に沿って説教をしています。
 カテキズムといいますのは、聖書の要約である教理を伝えるためのものです。主に問いと答えによって進められていきます。『はじめてのカテキズム』は『みんなのカテキズム』(一麦出版社)に収められています。
 きょうは問い5に記されている内容、感謝について聖書に聞きたいと思います。

 問い5「この愛の贈り物に対してどのように神さまに感謝するのですか。」「わたしが心から神さまを愛し、神さまに信頼することを約束することによってです。」
 カテキズムは「わたしたちは神の子である」と語り、「神の子とされたのは恵みつまり神の自由な愛の贈り物による」と述べました。それを受けて問い5では「この愛の贈り物に対してどのように神さまに感謝するのですか」と問うています。

 感謝が大事なのは、それが恵みに対する応答だからです。そして応答が大事なのは、応答は関係を作る働きをするからです。例えば、挨拶された時、話しかけられた時、応答することによって相手との関係が作られていきます。話しかけられる、返事をする。恵みを与えられる、感謝する。この応答が関係を作り始めます。そしてこの関係は繰り返されることにより深められていきます。
 さらに言うならば、関係が繰り返され、循環していくと、そこに命が生まれます。生物としてもこの循環は大切です。息を吸って吐く。血液が循環する。血液の循環で、酸素が運ばれ、二酸化炭素が排出される。食べて吸収され、排泄される。これらのどの循環が途絶えても命が失われてしまいます。
 そして、話しかけられなくなる、話しかけても無視されるようになっても、命は失われていきます。わたしたちの命は生物的な命だけでなく、関係の中にも命が存在し、わたしたちの命の根源は、神との関係の中にあるのです。

 そして神との関係を築いていくのが、感謝の応答なのです。それは恵みには感謝がふさわしいからです。
 わたしたちは恵みに対して恩返しをするのではありません。受けた恩を返して貸し借りなしの関係になるのではありません。例えば、子どもが親に育ててもらった恩を返し、貸し借りなしになることによって親子にふさわしい関係になるわけではありません。「恵みには感謝がふさわしい」のです。

 では神の恵み、愛の贈り物にどう感謝すればよいのでしょうか。カテキズムは「わたしが心から神さまを愛し、神さまに信頼することを約束することによってです」と教えています。

 まず始めに「約束する」ことについて考えましょう。「約束する」とはどういうことでしょうか。
 罪人であるわたしたちは完全に愛することも、完全に信頼することもできません。そんなわたしたちに対して、神は自ら約束するものとなってくださいました。
 本来神は何にも縛られない自由なお方です。けれど神はわたしたちの救いのために自らを約束の下に置いてくださるのです。「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」(創世記 17:7)と神はわたしたちに約束をしてくださいます。
 それは信仰によって神とつながり、関係を与えられたわたしたちのためなのです。約束はまさに、完全に愛せない、完全に信頼できない罪人のためのものです。できないからあきらめてしまう、できないから捨ててしまうのではなく、何度でもそこへと立ち戻るために約束の中に置いてくださるのです。神の真実な約束に支えられて、神の約束に応答する者として約束の中にいることへと招かれているのです。そのようにして罪を抱えながらも、赦しの恵みの中で、神と共に生きられるようにされているのです。
 その神の大きな救いの御業の中で、わたしたちは恵みに感謝して生きる者とされたのです。そして救いの神に応答するふさわしい感謝が「心から神さまを愛し、神さまに信頼することを約束すること」なのです。

 「愛する」とは「共に生きようとする」ことです。共に生きる関係のあるところ、必ず「愛」が必要になります。夫婦、親子、友人、隣人、郷土や国、そして人類。いずれにもそれにふさわしい愛が必要です。それは、愛である神が(1ヨハネ4:16)創造されたからです。そして、その神にかたどってわたしたちは造られました(創世記 1:27)。愛である神にかたどって、愛する者・愛される者として造られました。だから神はこう言われます。申命記 6:5「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
 イエスも「どの戒めが最も重要か」(マタイ 22:34~40)と問われた時に二つの戒めを答えられましたが、「これが最も重要な第一の掟である」と言われたのがこの申命記の戒めです。
 わたしたちを愛して、救いの御業をなし、恵みを与えてくださる神への感謝は、愛することがふさわしいのです。

 次に「信頼する」とは「依り頼むこと」です。わたしたちを神の子としてくださるほどに愛してくださる神を知って、神にこそ依り頼むのです。幼子が親を信頼するように依り頼むのです。
 旧約の詩人は、神を誉め讃えてこう詠います。詩編 22:5~6「わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。/助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。」
 人は信頼するものが何もなければ生きていくことができません。家族も友達も自分も信頼できない。社会も国も信頼できない。信じられるものなど何もないとなったら、人は生きてはいけません。だから神は、ご自身が信じられるものとなって、わたしたちと共に歩んでくださるのです。だからわたしたちは、神の真実に応答して神を信じて生きるのです。

 ですから「愛する」ことも「信頼する」ことも、神の恵みから生じるものであり、恵みにふさわしい生き方なのです。
 カテキズムは、神を知った者が恵みの内に生きていけるようにこう語ります。
 問い5「この愛の贈り物に対してどのように神さまに感謝するのですか。」「わたしが心から神さまを愛し、神さまに信頼することを約束することによってです。」


ハレルヤ


父なる神さま
 弱く罪深いわたしたちをあなたの約束の中に置いてくださり、何度でもあなたへと立ち帰れるようにしてくださったことを感謝します。あなたの約束に支えられて、あなたを愛し、信じて生きるあなたの子としてください。神の子とされた恵みを心新たに味わいつつ歩み行く者としてください。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン