聖書の言葉を聴きながら

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聖句で辿る聖書 102

レビ記
17章 11節(聖書協会共同訳)


肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。


 確かこの箇所が、一般に「ものみの塔」と呼ばれる宗教団体の人たちが輸血を禁止する根拠の一つだと記憶している(参照:レビ 17:10, 14)。
 前にパッカーの『福音的キリスト教と聖書』の感想を書いたときに、「聖書は必ず解釈され、神の御心が聞き取られねばならない」と書いた。問題は、その聖書解釈が適切かどうかである。
 聖書釈義をする際の基本がある。キリスト教の場合、その聖書解釈がキリストと結び付くかどうかが基本の一つである。
 わたしはこの箇所の解釈として、血はキリストの十字架の血を指し示していると理解する。わたしたちの命を贖うため、キリストの血が流された。キリストの血がわたしたちの命に代わって贖うのである。

 ちなみにわたしは、レビ記のこの前後を通して輸血が禁じられているとは考えていない。


ハレルヤ