聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

新しい聖書への要望と感謝

なぜ『新共同訳』の次が『聖書協会共同訳』なのだろう。人に説明するときに面倒くさい。『新』の次の新しいのが『新』でないなんて。
当然こんなことは聖書協会でも議論された上で決まったのだろうが、どうにもしっくりこない。

訳については、文句を言うほどの原語(ギリシャ語・ヘブライ語)の知識はないけれど、ここだけは言わせてもらいたい。
マタイ 28:9 の「おはよう」だけはいただけない。
ここは口語訳は「平安あれ」だったのが、新共同訳で「おはよう」に替わった。
新改訳2017も、フランシスコ会訳も「おはよう」である。岩波版は「喜びあれ」、田川健三訳は「幸あれ」である。岩波版、田川健三訳ともに注があり、説明されている。
今回発売の「聖書協会共同訳」も注が付いているのだから、新改訳2017と同様に(注に「別訳『喜びがあるように』とある)注を付けてほしかった。
言語的には「おはよう」なのだろう。田川健三訳の注を読むと、それは理解できる。しかし、マタイは復活したイエスが「おはよう」と朝の挨拶をしてくれたことを記述したかったのではないと思う。マタイは福音を伝えるために福音書を編纂したのである。キリストの復活からあふれ出る恵みを記したかったのだとわたしは考える。
30年後に予定されているであろう次の訳には、せめて注を付けてほしいと願う。

まだ全部を読んでいないが、翻訳の方針として記されている「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す」という意図は感じられる。
今回は中型だけだが、小型が出たら礼拝での使用を考えたいと思う。

より良い訳の聖書を出すために、長い時間と多くの人の協力を得て「聖書協会共同訳」を出版された聖書協会の働きに心から感謝する。
聖書協会の働きの上に主の祝福がありますように。