ゼカリヤ書 9:1〜10
家庭礼拝暦 (2018年5月16日)
ゼカリヤ書 9章1~10節
高ぶることなく、ろばに乗って来る。(9節)
主の言葉が臨むとき、人々の目は主に向けられます。神の声を聞くために、人々が頼りとする富も町も捨てられ、高ぶりは絶たれます。しかし、その方法は人の思いを超えたもののようです。
9節は、主イエスのエルサレム入城の際にマタイ(21:5)とヨハネ(12:15)で引用されている箇所です。マタイとヨハネは、このゼカリヤの預言は主イエスのエルサレム入城によって成就したと理解しましたが、ゼカリヤの預言を聞いた者の誰が、救い主のエルサレム入城を想像したでしょうか。神のひとり子が十字架を負うことにより救いを成就し、神の平和を来たらせるために、ろばに乗られることを誰が想像したでしょうか。
救いの計画と未来、それは神のもとにあります。神は言われます「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ 29:11)と。
ハレルヤ