聖書通読のために 62
マタイによる福音書 7章 6節(新共同訳)
7:1 から裁きを行い信仰を正そうとする者に対する注意が語られてきている。
信仰的に正しいことを指摘しても、そのことが大事なことだと理解できない人もいる。その正しさを理解し受け止めることのできる時がある。そのときが来ていない場合「それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくる」こともある。
時によらずおが屑を取り除き、悔い改めさせるのではない。時は神の領分である。時が来ていないと思ったら、祈りつつ待つことも必要である。
わたし自身、福音を信じるまでに時間がかかり、神聖なものを拒絶し、真珠を投げ捨て、伝えてくれた人を軽んじていた。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)