聖書通読のために 56
マタイによる福音書 6:22~23(新共同訳)
「体のともし火は目である」とイエスは言われる。
ともし火は、自分の歩く道を照らす光。目は光を感知して、自分のいる世界を知る器官。目が澄んでいれば、自分の歩いている道がよく見える。神の言葉に従い、神と共に生きているかどうかが分かる。自分がなす一つひとつの業が、神の栄光のためになされているか分かる。目が澄んでいれば、自分のすべて(全身)が神へと向かう(明るい)が、目が濁っていれば、神から離れ罪へと向かう(暗い)。
イエス キリストは「まことの光で・・すべての人を照らす」(ヨハネ 1:9)と言われ、自ら「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ 8:12)と言われた。イエス キリストこそ、自分の中に持つべき命の光である。
この光に目を向けていくとき、目は澄み、全身は明るくなる。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)