聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

聖書通読のために 41

思い巡らす meditation meditado
 神の思いに心を向けるために

 

マタイによる福音書 5:43〜47(新共同訳)

 「愛するとは、どういうことか」ということについて考えるきっかけとなった箇所。
 聖書における愛とは「共に生きようとする意思」だと考えるに至った。好き嫌いの感情ではない。神はわたしたち罪人を愛していてくださる。つまり、共に生きようと願っておられる。そのために救いの御業をなされる。それをヨハネ 3:16は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と言い表している。
 救いの御業の前進を祈るとき、敵や迫害する者が裁かれ、罪が滅ぼされ、義が立てられていくことを祈ることもある。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられ」(1テモテ 2:4)「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて」おられるのだから、すべての人は神に裁かれ、救われる必要がある。
 マザー・テレサの言葉に似ているが、愛の対義語は「無関係」だと思う。その人が滅んでもわたしには関係が無い、と言うとき、そこに愛はない。しかし、罪が裁かれ滅ぼされて、救いがなされることを祈るとき、そこに愛はある。
 夫婦、親子、友人、隣人、仲間、郷土、国、世界・・ 共に生きる関係のあるところには、神が与えてくださる愛が必要である。それを心に留めてわたしたちは祈っていくのである。


喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)