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教理による黙想の手引き 15

教理による黙想の手引き 第15回
日本キリスト教会発行 福音時報 2016年3月号掲載
 掲載時のコーナータイトルは「教理を学ぶ - 説教で聞く教理 -」)

 

「三位一体」

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」(コリントの信徒への手紙二 13章13節 新共同訳)

 聖書には「三位一体」という言葉は一度も出てきません。これは、聖書をとおして神の啓示を聞いていったとき、神が自らを「三位一体」の神として啓示しておられることを知って、告白した教理の言葉です。
 これは、神は唯一であり、その唯一の神は父・子・聖霊という三つの神格(位格、ペルソナ)を有しておられる、ということを表しています。

 「我らの神、主は唯一の主である」(申命記 6:4)と聖書は告げます。
 そして、イエス・キリストが父と呼ぶ父なる神が示されます(ルカ 22:42他)。そして主の祈りによって、イエスは神に父と呼びかけるように教えられ、教会はそのように神に呼びかけてきました(マタイ 6:9、ローマ 1:7他)。
 子なる神については、2015年3月号「真の神」をご覧ください。
 聖霊なる神については、2016年1月号、2月号をご覧ください。
 聖書は、神ご自身について「三位一体」の神であることを告げています。

 聖書をとおして、神が父・子・聖霊のすべてをかけて救いの御業を成し遂げ、成し続けていてくださることを知ります。全能の神がその力を振るって、いとも簡単に救いの御業を達成したのではなく、ご自身の存在そのものをわたしたちのためにかけ、注ぎ与えておられることを知るのです。わたしたちは、神ご自身の姿を通して、計り知ることのできない神の愛の大きさを示されるのです。

 また、人は神のかたちに、神にかたどって作られました(創世記 1:26, 27)。わたしたちは、わたしたちを造り、共に生きることを願われる神ご自身を知るとき、自分自身が何者なのか、どのように生きるのが自分にとってふさわしいのかを知るのです。
 全能の神は、孤独な神ではありません。唯一の存在でありながら、ご自身の内に父・子・聖霊の交わりがあるのです。「神は愛」(1ヨハネ 4:8, 16)であると聖書は告げます。父・子・聖霊の関係そのものが愛であり、その愛は、ご自身の外へと溢れ、注がれていきます。神は交わりの神であられるので、共に生きる存在として世界を造り、ご自身にかたどって人を造られたのです。そして人自身も交わりの存在として、愛である神にかたどって造られました。

 だから、すべての人は(キリスト者キリスト者でなくとも)愛すること、愛されることを求めて生きているのです。そして世界にあるものは、何一つ単独で存在せず、互いに関わりを持って存在しているのです。そしてすべての愛、すべての関わりの根源には、三位一体の神の愛、関わりがあるのです。
 愛と関わりの根源である三位一体の神を知るキリスト者は、この神ご自身との交わりの中で、神を証しして歩みます。すべての愛を求め、必要としている人々、そして世界に、この三位一体の神を伝えるのです。だから聖書は「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」(ローマ 8:19)と語ります。

 救いに与った神の民が、神の家族である教会(エフェソ2:19)に連なるのも、愛と関わりの根源である三位一体の神との関係が回復されたからです。神が孤独な神ではないように、わたしたちも孤独なキリスト者ではなく、神の愛と関わりに与って生きる教会員とされているのです。
 そして、わたしたちキリスト者は、主の日ごとに、礼拝ごとに、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」(2コリント 13:13)という三位一体の神の祝福を受け、神と共に日々の歩みへと踏み出していくのです。

ハレルヤ