聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

教理による黙想の手引き 04

教理による黙想の手引き 第4回
日本キリスト教会発行 福音時報 2015年4月号掲載
 掲載時のコーナータイトルは「教理を学ぶ - 説教で聞く教理 -」)


「真の人 ~執り成し~」

「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」

            (テモテへの第一の手紙 2章 5節 口語訳)

 

 「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられ」ます(1テモテ2:4)。そのため、神は「神と人との間の仲保者」としてひとり子イエス・キリストを、人として世に遣わされました。

 仲保者という言葉が出て来ます(新共同訳では「仲介者」)。この言葉は、神と人との間に立つ者、罪を贖い、和解の業をなし、神と人とをつなぐ務めをなす者を表します。聖書は、それは人なるキリスト・イエスただお一人であると言っています。

 苦難の中で神の答えを求めたヨブは、こう訴えました。「神はわたしのように人ではないゆえ、わたしは彼に答えることができない。われわれは共にさばきに臨むことができない。われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない。」(ヨブ9:32, 33)彼は、神と自分の間に立ってくれる仲裁者(仲保者)を求めます。
 苦しみの中で仲保者を求め続けたヨブは、天に仲保者を見つけます。「見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。どうか彼が人のために神と弁論し、人とその友との間をさばいてくれるように。」(ヨブ16:19~21)
 そしてヨブは確信します。「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。」(ヨブ19:25~27)
 苦しみの中に立ち続けたヨブは、天に自分の味方となってくださる仲保者のおられるのを望み見たのです。それはまさにイエス・キリストです。

 イエスは真実な仲保者、救い主となるため、人となられました。ヨブが望み見たように「地の上に立たれ」ました。罪に苦しむ者の味方、仲保者として地の上に立たれました。
 「イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」(ヘブル2:17~18)仲保者は罪の世の試練を知っておられます。ヨブを、そしてわたしたちを本当に助けることのできるお方です。

 この真実な仲保者は、永遠に変わることのないお方です。「彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。」(ヘブル7:24~25)「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」(ローマ8:34)

 イエス・キリストが人となられたのは、永遠に真実な仲保者となるためです。神とわたしたちの間を執り成し、新たな絆でつなぐためです。わたしたちが神へと立ち帰り、神と共に歩んでいけるようになるためです。この救いの御業をなしてくださったのは、聖書が告げるとおりイエス・キリストただお一人です。イエスは、創造のとき神が「はなはだ良かった」(創世記1:31)と喜ばれた真(まこと)の人となって、仲保者として生き抜いてくださいました。そして、人が神へと立ち帰る道を開いてくださいました。

 この永遠に真実な仲保者,真の人イエス・キリストが「救いの完成される日までわたしたちのために執り成して」していてくださるのです。

ハレルヤ