聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

ローマの信徒への手紙 3:1〜4

2019年8月21日(水) 祈り会
聖書:ローマの信徒への手紙 3:1~4(新共同訳)


 聖書には「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイ 20:16)という言葉があります。しかし、先の者は先になりたいのです。先の者としての光栄に与りたいと願います。ユダヤ人は、神の民としては明らかに先の者です。キリスト教の歴史の中で、ユダヤ人はキリストを殺した者たちとして迫害を受けました。しかし、明らかにキリストはユダヤ人として生まれました。あらゆる諸民族に先立って神の民とされた先の者です。
 「では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。」パウロは言います。「まず、彼らは神の言葉をゆだねられた」。パウロは「まず」と言っていますが、第二も第三も出てきません。つまり、何よりも大事なことが語られています。

 その何よりも大事なことは「神の言葉をゆだねられた」ということです。ユダヤ人は旧約の担い手です。ユダヤ人がいなければ、わたしたちはアブラハムも、モーセも、ダビデも知りません。詩編の祈りも讃美も知ることがありませんでした。イエスが荒れ野の誘惑で引用(マタイ 4:4)された申命記 8:3 には「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」とありますが、生きることを支える神の言葉がユダヤ人には委ねられたのです。神はユダヤ人に何よりも大切なものとしてご自身の言葉を委ねられたのです。
 けれどユダヤ人だというだけで、皆同じ信仰をもっているわけではありません。罪人を救おうという神の真実に対して、真実をもって応える者ばかりではありません。わたしたちもいつも信仰が成長していくわけではありません。信仰が停滞するときもあるし、冷めるときもあります。しかしだからといって、罪人を救おうという神の真実が無になるのではありません。

 キリストも、自分を裏切る者、自分を知らないと言う者、自分を置いて逃げる者を弟子とされました。キリストの弟子が、裏切ったから、知らないと言ったから、逃げたから、キリストが世に来られたことは無に帰したのでしょうか。そうではありません。キリストの弟子、神の民イスラエル、すべての人が偽り者であっても、罪人を救おうという神の真実はいささかたりとも揺るがないし、罪人の偽りのただ中で光り輝いているのです。

 4節の「人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです」は訳し方によって、受ける印象が変わる微妙なところです。(例えば岩波版「神は〔あくまでも〕真実な方である、とせよ。逆に人間こそ、ことごとく偽り者なのである」)パウロが言おうとしていることは、罪を抱えている人間は、すべての人が偽りを抱えている。しかし、神は真実なお方である。例え神の民の中に、神に対して真実に生きていない者があっても、神の真実は揺るがないことを心すべきだ、ということです。キリストの弟子、神の民イスラエル、すべての人の偽りが見え隠れするときも、罪人を救おうという神の真実はいささかたりとも揺るがないし、罪人の偽りのただ中で光り輝いているのです。

 パウロはそれを詩編 51:6を引用して、神ご自身がそう言っておられたことを明らかにします。
 「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」
 つまり、神の言葉と御業によって、神の真実が明らかになる。そして罪人は、神の真実によって救われる。神の言葉は、罪人を救おうという神の真実を証しする。神が語られるとき、神の言葉は出来事となり、罪人を救い、義とする。神が裁かれるとき、罪は打ち砕かれ、神は勝利される、のです。
 パウロはここを七十人訳と呼ばれる旧約のギリシャ語訳を引用しています。パウロが引用した七十人訳と、わたしたちが使っている聖書の詩編 51:6とでは、文章の意味合いに少し違いがあります。(詩編 51:6(新共同訳)「あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。」)パウロファリサイ派の一員でしたから、ヘブライ語の聖書にも通じていました。そこを七十人訳ギリシャ語訳)を用いたのは「あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」にキリストの十字架の勝利を思い描いたからかもしれません。

 神の言葉によって、神の真実が示され教えられます。神の言葉によって、今も生きて働かれる神へと導かれます。神の言葉が委ねられるということは、小さな事ではありません。その神の言葉を、ユダヤ人は神から託され委ねられてきたのです。神の救いの御業のために用いられ、神を証ししてきた、そこにこそユダヤ人の優れている点があり、割礼の益があるのだ、とパウロはいうのです。
 そして今、旧約の神の言葉、新約の神の言葉が、わたしたちキリスト者に委ねられています。

 わたしたちは、神の言葉によって、キリストに出会い、神を知る者、神と共に生きる者とされました。神の言葉によって、罪人を救おうとされる揺るがない神の真実を知る者とされました。
 神はきょうも、わたしたちが神の真実に包まれ、救われるように、御言葉を語り続けてくださいます。
 わたしたちキリスト者の優れている点は何か。それは、何よりも神の言葉が委ねられていることです。わたしたちは、神の言葉により、神の真実と愛を知り、父・子・聖霊なる神ご自身を知る者、神と共に生きる者とされているのです。


ハレルヤ


父なる神さま
 聖書を通して、あなたの御心を知る幸いを覚えることができますように。わたしたちの罪にも関わらず、決して揺らぐことのないあなたの真実によって救いに入れられている幸いを喜び感謝することができますように。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン