マラキ書 3:13〜18
家庭礼拝暦 (2018年5月30日)
マラキ書 3章 13~18節
彼らはわたしにとって宝となる(17節)
わたしたちの判断基準に「損か得か」という基準があります。今も「勝ち組・負け組」という言葉が使われます。この世にあっては、神に従うことが損だと思えるときがあります。罪人はつぶやきます。「神に仕えることはむなしい。たとえ、その戒めを守っても・・何の益があろうか。」罪人は、罪の世で神と共に生きることの意味も価値も分からなくなってしまいます。
しかしそのような中にあっても、主を畏れ敬う者たちがいます。神は終わりの日(その日)に彼らを宝だと言われ、憐れんでくださいます。
その日「もう一度/正しい人と神に逆らう人/神に仕える者と仕えない者との/区別を見るであろう」と主は言われます。神は、ご自分と共に生きることの意味と価値を知るまで、裁きを行われます。その日、神を侮る者は、罪の愚かさを知るでしょう。
ハレルヤ