聖書の言葉を聴きながら

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ローマ人への手紙 5:16〜17

2018年7月1日(日)主日礼拝  
聖書箇所:ローマ人への手紙 5:16〜17(口語訳)

 

 「似て非なる」という言葉があります。「ちょっと見たかぎりでは似ているが、実際は全く違う」という意味です。
 パウロも罪と救いを比較しながら、罪と救いが似て非なるものであることを語ります。

 罪も救いも、一人の人によってもたらされました。罪はアダムによって、救いはキリストによってです。罪も救いも一人の人によってもたらされ、すべての人がその影響下に置かれます。これが似ている点です。

 非なる点、異なる点は、一人の人アダムの罪過が、すべての人を罪に定めることになりましたが、一人の人キリストの救い、恵みは、多くの人の罪過をキリストが担われた結果、罪人を義とすることになったことです。このことをパウロは6章の最後でこう書いています。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのち」(6:23)であると。

 罪過、罪という言葉は、元々道を外れる、的を外すという意味を持っています。聖書においては、神から離れていく、神と共に生きることができないことを表します。一方、義という言葉は、正しい関係にあることを表します。神と正しい関係にあり、神との交わりの中にあって、神と共に生きていることを表します。

 罪は、命の創造者、命の源である神から離れていきます。命の源から離れ、行き着くのは死の世界、死なのです。死は命が失われた沈黙の世界です。しかし神の御業は、命を創造し、死から命へと救い出します。命は、色も音も、香りも手触りも多様な豊かな世界です。罪が導くのは、死が支配する世界。しかし神が導かれるのは、命の満ちあふれる世界なのです。

 神はその命満ちあふれる世界、そこに生きる人に向かって「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記 1:28)と祝福して言われました。

 神と共に生きるとき、わたしたちは神が祝福された命の世界へ向かって生きていきます。そして生きている世界、命ある世界においてわたしたちは出会うのです。豊かな命、驚くべき世界、創造の神秘、そして救いの恵み。さらに、神に出会い、お互いに出会い、その出会いを喜び、共に生きるのです。
 生きているからこそ、出会いを喜ぶことができるのです。神はこの出会いの喜びを与えようとして、救いの御業、命の御業をなしておられます。

 命は自分の命であっても、自分のものではありません。自分で、生まれる時も場所も、能力も選んで生まれることはできません。そして、自分は200年、300年生きようと決意しても、生きることはできません。
 命は神から与えられたものであり、神が定められた時に神へと帰るものです。しかし、キリストの「あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たち」、すなわち罪のない永遠の命の恵みと、神を信頼し神と共にあることを喜ぶ義の賜物を受けている者は、神が祝福される命が満ちあふれる世界、恵みが導く出会いある世界に生きるのです。

 わたしたちは今、神の招きを受け、決断が求められています。罪が導く死が支配する世界に生きるのか、キリストが導く命の世界、恵みある出会いの世界に生きるのか。キリストを通して神の招きがあなたの前に差し出されています。

 

ハレルヤ