聖書通読のために 61
マタイによる福音書 7章 3~5節(新共同訳)
「自分の目の中の丸太」とは、自分自身の罪のことである。神の御心とは違う、自分の善悪のことである。自分の善悪が基準であるとき、当然自分の目の中の丸太には気づかない。この丸太は、自分の善悪と一致しているのだから。
神の前で「自分は正しい」とする者は、イエスが言われるとおり偽善者である。
自分の目から丸太を取り除くとは、神の前で罪を認識し、悔い改めて神へと立ち帰ることである。自分に従うのではなく、神に従って歩み出そうとすることである。神の言葉である聖書から、神の御心を聞こうと真剣になることである。そのとき、兄弟に「共に神の御心を聞こう」と礼拝へと誘(いざな)い、祈り会(祈祷会)へと導くのである。これが「兄弟の目からおが屑を取り除く」ことである。
裁きは、神がご自身の御心によってなされる。神の民は、共に神の御前へと立ち帰るために仕えるのである。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)