聖書の言葉を聴きながら

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ローマ人への手紙 3:25〜26

2017年10月15日(日)主日礼拝  
聖書箇所:ローマ人への手紙 3:25〜26(口語訳)

 

 人は、エデンの園で罪を犯して以来、神とは違う善悪を持ち、神と共に歩めなくなってしまいました。しかし神は、罪人を諦めてしまわず、共に生きるための救いの御業をなしてこられました。そしてついに、ご自身のひとり子を救い主として世に遣わされました。それがイエス キリストです。
 神は、キリストをわたしたちの罪を贖う供え物とされました。

 贖うというのは、元々奴隷を代価を支払って買い取ることを意味していました。この場合は、神が代価としてイエス キリストを贖いの供え物とし、罪に囚われているわたしたちを罪から解放し、神ご自身のものとされた、ということです。
 神は既にキリストを遣わされる前から、罪人を贖うことを定められておられました。それは旧約においてはっきりと語られています。イザヤ 43:1にこうあります。「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」

 この神の御業は、信じるということを通して受け取られるものです。つまり、イエス キリストが十字架を負われ、その命を献げられたのは、わたしたちを罪から救うためだった。神が、わたしたちを救うために、ご自身のひとり子を救い主としてお与えくださった。イエス キリストこそこのわたしの救い主だ、と信じることによって受け取る恵みなのです。
 神は、救いの御業を通して、わたしたちとの間に信じるという関係を築いてくださったのです。これこそが神の義なのです。義というのは、関係における正しさを表す言葉です。ですから神の義とは、神との正しい関係を表します。神は、イエス キリストを通して、神と人との関係は、信じるという関係が正しいとされたのです。神はそのことをキリストによって明らかにされました。25節ではこう言われています。「神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。」

 人は罪のために信じられない存在となってしまいました。世にある詐欺を始めとする様々な犯罪などが、人をむやみに信じてはいけないと教えています。罪は世界を信じられない世の中としてしまいました。たとえ信じ合える関係であっても、100%他者を信じることはできません。人は誰もが罪による限界を抱えているからです。
 その罪のただ中で生きているわたしたちに、神はひとり子を救い主とし、十字架を負わせるという痛みを負って、自ら信じることのできる存在となってくださいました。ご自身の御業によって、わたしたちとの間に信じるという関係を造り出してくださったのです。これを聖書は「神みずからが義となり」(3:26)と言っています。
 わたしたちが義であるのではなく、義を造り出すのでもありません。神ご自身が義であり、義を造り出してくださるのです。神はご自身の御業によって、救いを成し遂げ、わたしたちが救われていると信じることができるようにしてくださったのです。このわたしを100%知っておられる方が、わたしの弱さも欠けも愚かさも知っておられる方が、わたしを諦めず、見捨てることも見放すこともなさらず、ひとり子の命をかけ、自ら痛みを負って、わたしの罪を贖ってくださったのです。イエスは、自分を裏切る者も救いへ招かれました。自分を見捨てる者、知らないと言う者も救いへと招かれました。そして主は、わたしはあなたも招いている、と言われるのです。聖書の言葉を通して、今も聞く者すべてを招いておられます。
 今も日々積み重ねられるわたしたちの罪を一つひとつ裁き滅ぼすのではなく、御言葉を通して救いへと招き、わたしたちを忍耐をもって待っていてくださるのです。

 もう一度言います。神は救いの御業によって、自ら信じられる者となってくださいました。わたしたちを信じる関係へと導くためです。信じることのできる正しい関係を神が造り出してくださいました。神自らが、義となり、正しい関係の基となってくださいました。そして、イエスを信じる者を義とし、ご自分と正しい関係にある者としてくださったのです。神ご自身、そして神の御業が、わたしたちの義の基です。わたしたちはキリストの血により、罪贖われて、神を信じて生きる者とされました。神を信じて神の国に生きる者とされました。
 ですから聖書は1コリント 1:30, 31でこう語ります。「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。」キリストがわたしたちの義となってくださった。贖いとなってくださった。聖となり、知恵となってくださった。わたしが努力して、懸命に求めて、神を見出し、救いに到達したのではありません。神がわたしの義となり、贖いとなってくださった。そのためにキリストを与えてくださった。その神がなしてくださった御業を信じる恵みへと、神が招いてくださいまいした。導き入れてくださいました。だからわたしは、主を誇るのです。神と出会った誰もがこの同じ誇りを持つことができるのです。喜びを持つことができるのです。神はどの一人をも失うまいとして、キリストによる救いをすべての人に与えてくださっています。

 けれど、罪を抱えたわたしたちにとって、神を信じて生きることは、簡単ではありません。目の前に起こってくる罪の世の現実に、わたしたちは動揺させられ、信仰が揺さぶられるのです。
 しかしわたしたちが何度躓いても、イエス キリストは「きのうも今日も、また永遠に変わることのない」(ヘブル 13:8)お方、変わることのない救い主です。イエス キリストが永遠に救い主であり続けてくださるので、わたしたちは何度でも悔い改めて、キリストの許へと立ち帰ることができるのです。わたしたちの救い、命、そして未来は、イエス キリストの許にあります。
 神はきょうもわたしたちを招いておられます。あなたの救い主イエス キリストを信じて、義とされるように、神との正しい関係の中に入れられ、神を信じ、神を喜んで生きるように、救われるようにと招いていてくださいます。

 

ハレルヤ