聖書の言葉を聴きながら

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聖句で辿る聖書 54

出エジプト記
6章 2, 3節(新共同訳)

神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。
わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。


ここで「主」と訳された単語は、何と読むのか忘れられてしまった単語である。
神の民が、よりにもよって神の名前を忘れてしまうとは・・ しかし現実に忘れてしまったのである。
現代の聖書学では「ヤハウェ(あるいはヤーウェ)」と読んだと推測されている。翻訳によっては「ヤハウェ」と訳しているものもあるが、キリスト教会で読む聖書の場合、それは適切ではない。ヤハウェは推測に過ぎない、というのもあるが、神が忘れるのをよしとされたのだ。民は、自分たちが神の名を忘れてしまった、ということを忘れずに神に祈り求めていかねばならないのだと思う。