聖書通読のために 54
マタイによる福音書 6:16~18(新共同訳)
人は、自分を理解してほしいし、自分を認めてもらいたい。信仰の場合も同じである。信仰熱心であっても、そうでなくても同じである。自分の信仰を理解してもらいたいし、認めてもらいたい。
この箇所では、信仰によってわたしは断食しているのだ、ということをみんなに分かってほしいという例である。しかし、それは違う、とイエスは言われる。
信仰は神が対象であり、神へと向かうものである。信仰を見ているのは、神ご自身である。だからイエスは言われる。「あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
参照:マタイ 6:1~4
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)