聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

神学入門 20

神学 まとめ01

 この神学入門を書いたのは、伝道したいという思いを抱いている信徒の皆さん、伝道のために学びたいと考えている皆さんに、あるいは子どもたちに聖書の話をされる皆さんに、神学の全体像を知ることができるように、と願ってのことです。

 わたしは、聖書の話をして、父・子・聖霊なる神を証ししよう、宣べ伝えようとするとき、神学が必要だと考えています。

 それは、聖書を読むとき、読む人の解釈があり、聖書の話をするとき、語る人の解釈があるからです。
 その解釈が独りよがりの勝手な解釈とならないために神学をするのです。神の御心と全く違う理解に陥らないように神学をするのです。

 荒れ野の誘惑で悪魔は、聖書の言葉を使って誘惑しました(マタイ4:1-11, ルカ4:1-13)。神の言葉、神の戒めを教えていた律法学者やファリサイ派の人たちは、イエスから「偽善者」と言われました。
 「聖書にはこう書いてあります」といって聖書を引用しているから神の御心に適う正しいことを言っているわけではありません。かつてアメリカに奴隷制があった頃、奴隷制を支持する牧師たちは、聖書を根拠にして黒人が奴隷であることは神の御心だと語ったと聞きました。

 聖書を読めば神の御心が正しく理解できるほど、わたしたちは清くはないのです。わたしたちには、神を理解できない罪があるのです。イエスがご自身の十字架と復活を語られたとき、ペトロは理解できず受け入れられませんでした。イエスはペトロに言われました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8:33)ペトロはイエスに「あなたは、メシアです」と告白する者、イエスを信じる者です。それでも、神の御心を受け入れられない罪を抱えているのです。
 ですから、わたしたちは神の前に身を低くし、「主よ、御心をお示しください」と祈りつつ、神学をする必要があるのです。

 もちろん、神学が人を救うのではありません。イエス キリストが救い主であり、神が救ってくださるのです。神学は、神の言葉である聖書を理解し、神に従って歩むために仕えるものです。
 ですから、本来神学は牧師や神学者のためのものではありません。神学に関わるレベルは人によって違いますが、神学は全信徒、全教会のためのものです。父・子・聖霊なる神との交わりに生きるためのものであり、神との交わりを喜び讃えるためのものなのです。

 この神学入門は、神を伝えたい、福音を宣べ伝えたいと願っているキリスト者一人ひとりの手助けとなることを願って書いたものです。


主は生きておられる(エレミヤ 4:2 新共同訳)

 

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