聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

聖書通読のために 39

思い巡らす meditation meditado
 神の思いに心を向けるために

 

マタイによる福音書 5:33〜37(新共同訳)

 イエスは一切誓うなと言われる。誓いが意味のないものとなっていたからであろう。主に対して誓ったのでなければ、例えば天や地、エルサレムや自分の頭にかけて誓ったものは、誓いを破っても責任を負わなくてよいようになっていたのではないかと思う。
 言葉が空虚なものとなり、また言葉によって築かれるお互いの関係も空虚なものとなっていく。
 神の言葉は出来事となり、空しくなることはない。ご自身の言葉について、主はこう言われる。「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ 55:11)
 教会では、誓約をする機会が多くある。洗礼、任職、結婚・・・言葉が空しくなることのないように、儀式の約束事ではなく、言葉が意味を失わないように気をつけていかなければならない。


喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)