聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

神学入門 11

神学 聖書学08

正典01

 先に神学入門03で、わたしは「聖書学では、緒論と神学と釈義に先だって正典論を学びたい」と書いた。
 そこから言うと、聖書学01は「正典」を書くのが筋なのだが、緒論や聖書神学について書くと、正典としての聖書という視点・認識が大事であることを多少なりとも示せるのではないかと思い、聖書学の最後に持ってきた。実際に学ぶ際には、緒論(入門)の最初に1~2時間、正典について、聖書は神の言である、ということについて、旧約緒論でも新約緒論でも取り上げて頂くのがいいのではないかと考えている。

 正典とは,教会によって公に認められているキリスト教信仰の基準となる書物のこと。つまり、聖書のことである。
 一方、聖典とは,宗教の基本的教説を記した書物のことで,仏教の諸経典,イスラム教のコーランなども指す。

 聖書について考えるとき、わたしが出発点としているのは、「神をどのようにして知ることができるのか」ということである。

 わたしは修行をして悟りを開いて神を知ったのではない。幻を見るような特別な経験をして神を知ったのでもない。わたしは、教会へと導かれ、礼拝において聖書と説教を通して、キリストを知る者、信じる者とされ、神を知ったのである。
 そして今に至るまで、御言葉を取り次ぐため、聖書の学びをし、伝える準備をする中で、絶えず新しく神との出会いが与えられてきている。
 わたしは聖書に導かれて神と出会い、神を知ってきたのである。これは、神が聖書を通してわたしにご自身を啓示してくださったのである。わたし自身の経験が、聖書は神の言である、と告げている。
 そして、わたし個人がこう考えているのではない。わたしが属する日本キリスト教会は、「聖書は神の言(ことば)」であると告白している。日本キリスト教会は、宗教改革カルヴァン以来の改革派教会の伝統に立つ教会である。わたし個人だけでなく、日本キリスト教会だけでなく、公同の諸教会が「聖書は神の言」であるという経験を与えられ、信じ、福音を宣べ伝えてきたのである。

主は生きておられる(エレミヤ 4:2 新共同訳)