聖書の言葉を聴きながら

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聖書通読のために 31

思い巡らす meditation meditado
 神の思いに心を向けるために

 

マタイによる福音書 5:8(新共同訳)

 山上の説教(山上の垂訓)の6番目。
 「心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る」。
 キリスト者として、心の清い人にあこがれる。神を見ることができたら、と思う。けれど、どうしたら心の清い人になれるのだろうか。
 ここで使われいる「清い」という言葉は「カサロス」という言葉で「(心や手が、倫理的に)きよい、純粋な」と辞書にはある(織田昭編『新約聖書ギリシア語小辞典』)。聖霊などに使われる「ハギオス」ではない。
 これは、神の戒め(律法)を守っている人を指している。
 わたしたちは、律法を完全に守れない。律法を守って救いに至るのではない。わたしたちは、イエス キリストによって救われている。しかし、律法が無用のものとなったのではない。
 律法は自分の救いを確立するためのものではない。罪の世で、罪を抱えながら、共に神に従って生きるための恵みの教えである。律法は、神の恵みの賜物であって、律法もまた福音である。
 わたしたちは、律法を守っている、と言って自慢することはできない。しかし、神はわたしたちにどう生きることを願っておられるのだろうか、と律法を通して神に思いを向けていくとき、信仰によって神を見ているのかもしれない。


喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)