聖書の言葉を聴きながら

一緒に聖書を読んでみませんか

神学入門 08

神学 聖書学05

 

釈義(英語 Exegesis, ドイツ語 Exegese)01

 聖書の一文一文(聖句)を理解しようとする作業を釈義と呼ぶ。
 聖句が何を表し、何を伝えようとしているのか。それは、神の言葉である聖句を通して、神が今、わたしたちに何を語りかけておられるのか。その神の御心を理解しようとする作業が釈義である。
 釈義の根本は、聖書に問いかけることである。神学生時代、新約釈義の授業で教わって以来、御言葉を宣べ伝えるため、わたしがやり続けていることである。教えてくださった先生は「釈義で大事なのは正しい問いをすることだ。正しい問いとは、神の御心が分かる問い、神はここでこう言おうとされている、ということが分かる問いである。正しい問いかどうかは、神の御心が理解できたときに分かる。神の御心を聴くことができるまで、聖書に問うていくのだ」と言われた。わたしはそれを27年間行い続け、説教をしてきた。自分自身の経験から、先生が教えてくださったことは、本当に大事なことだったと分かる。その先生も昨年召された。教えて頂いた大切なことは、後輩の皆さんに伝えなければならない。
 聖書を伝えようとする者は、聖書に問わねばならない。義とは、聖とは、といった言葉の意味。なぜイエスはここでこう言われたのだろうか、というような言葉が発せられた理由。またイエスが奇跡を行われた理由。そして、神はなぜこの記事を聖書とされたのだろうか、と神の御心を問うていく。
 釈義は総合的な作業である。聖書緒論、聖書神学、教理、教義学などの知識を使ってなされる総合的な作業である。
 実際に説教の準備をする際には、釈義と一続きとなって、語るべきメッセージを聞き取る「黙想」という作業が出てくる(黙想は分類するなら説教学に入るだろうか)。ここでは伝える相手と関わって牧会も関わってくるだろう。
 釈義は、神の言葉である聖書に問いかける。そして、神に御心を示して頂かなければならない。だから、釈義は「祈り」なくして行うことができない。「主よ、お示しください」と祈りつつ行っていく。
 釈義は、他の神学諸科目に増して、今も語りかけてくださる神との交わりの中でなされていくものである。

主は生きておられる(エレミヤ 4:2 新共同訳)

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