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聖書の言葉を聴きながら

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教理による黙想の手引き 16

教理

教理による黙想の手引き 第16回
日本キリスト教会発行 福音時報 2016年4月号掲載
 掲載時のコーナータイトルは「教理を学ぶ - 説教で聞く教理 -」)

 

神の国

「時は満ちた、神の国は近づいた。」(マルコによる福音書 1章15節 口語訳)

 マルコによる福音書は、イエスの第一声を「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(1:15)と記しています。
 「国」という単語は、「治める、支配する」という単語から派生したと言われています。神が治め、支配されるところ、そこに神の国は現れます。

 皆さんは神の国の到来を感じておられますか。
 日本キリスト教会信仰の告白(口語文)は、「三位一体なる神の恵みによらなければ・・神の国に入ることはできません」と告白しています。
 皆さんは、神の恵みによって神の国に入れられていることを感じておられますか。

 情報化された世界の中で、わたしたちの目や耳には、戦争や事件、不正義のニュースが多数飛び込んできます。悲しみの中で、「もし神がいるなら、どうしてこんなことが」という叫びを聞きます。わたしたちは、悲しむ人と共に悲しむことしかできません。神を仰いでも、祈る言葉さえ見つからないこともあります。
 神の国は本当に到来しているのでしょうか。

 神の国は、神が治め支配されるところに現れます。神の御旨に従い、神の導きによって生きることを願う、神の民においてこそ現れ示されます。
 神の民は、神の選びによって生まれます。神の民は、自分が神の御業の中にあることを知る者です。わたしたちは、神の民の存在、そして礼拝が当たり前のものと思ってはなりません。生ける真の神の御業なのです。

 罪が覆い尽くしてしまいそうな世にあって、神は神の民を起こされました。彼らは神を信じて歩みます。「もし神がいるなら、どうしてこんなことが」という叫びの響く中、祈る言葉が見つからなくても、なお聖霊の執り成しを信じて(ローマ 8:26)神の御前に立ち続けます。罪が巨大な壁のように立ちふさがっても、神の御業の勝利を信じ、平和をつくり出す(マタイ 5:9)ために仕えていきます。神の民は、神のご支配(神の国)のただ中で生きることを通して、神の国の到来を証しし続けているのです。

 「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ 17:21)と主は言われます。「ただ中」というのは狭い閉ざされた範囲を示すのではありません。主ご自身、光として世に来られ(ヨハネ1:9)光であり続けてくださったように、主によって光とされている神の民は(マタイ 5:14)神の国に生きることも光とされて、世の中に立つ神の御業とされているのです。

 神の国について神の民を中心に考えてきました。神の民は神の国に生きるように招かれ求められています。ただ神の民=キリスト者かと言うと、そこはもっと広がりがあるように思います。旧約を神の言葉と信じるユダヤ教徒イスラム教徒(ムスリム)も入るでしょう。また主の誕生に際して導かれた東方の博士たちのように、異教徒が入ることもあるでしょう。
 神の国は神のご支配、神の御業です。わたしたちの思いを超えた大きく広いものであることを覚えておきましょう。

 わたしたちは、礼拝を通して神と出会い、交わり、聖書を通して神の声を聞くことにより、生ける真の神と共に歩みます。わたしたちは神ご自身によって支えられて、圧倒的に見える罪の世にあって、神の御業、神の国の到来を見て、自ら神の国の一員として祈りつつ生きるのです。
「御国がきますように」(マタイ 6:10)

 これは全世界のキリスト者が祈る祈りです。主イエスが教えてくださった祈りです。わたしたちは、神を信じて祈ります。そして、祈りつつ神の民として歩んでいくのです。

ハレルヤ