聖書の言葉を聴きながら

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神学入門 07

神学 聖書学04

 

新約神学

 旧約神学同様、新約神学も、新約全体の特徴を、その特徴の成立(歴史的な流れ)を踏まえて考察する。

 新約神学の最大の特徴は、イエス キリストに関する事柄である。旧約と新約を分ける決定的な事柄は、イエス キリストである。
 だから、イエスの教え、イエスの業、十字架、復活、昇天、臨在、再臨、救いの完成などは、新約神学の主要テーマであると考える。

 しかし、新約神学の書籍の目次を見ると(手元にあるわずか数冊のものに限られるが)、イエスの宣教、パウロの神学、共観福音書の神学、ヨハネの神学、第二パウロ書簡の神学、公同書簡の神学、ヘブライ書の神学などと書かれている。
 何が引っかかるかと言うと、上記のような分解の仕方は、正典としての聖書(新約)という視点を鈍らせるように思えるからである。前回も書いたが、牧師の務めは、四文書説や様式史研究、編集史研究などの神学を説明することではなく、聖書を通してキリストを証しし、神を指し示すことである。人々がキリストと出会い、神と共に生きるお手伝いをするのが、牧師の仕事である(とわたしは考える)。
 例えば、十字架というテーマがあって、それを共観福音書の特徴は、それに対してパウロの理解は、というようにキリストの教えや業に対する理解を深めるように思索し、神学するのが適当なのではないかと考える。

 わたしが日々営むつたない神学は、教会の学としての神学である。そこにおいては、聖書(旧約39巻、新約27巻)はキリスト教の正典であり、「神の言葉である」という信仰が不可欠である。
 わたしは何らかの修行を通して神を知ったのではない。教会の礼拝の中で、聖書と説教を通して、神がご自身を知らせ(啓示)てくださり、信仰を与えてくださったのである。これは、わたしだけの出来事ではなく、神は救いの歴史(救済史)の中で、ご自分の民に聖書を与え、聖書を通して語りかけ、導いてくださった。わたしたちは、聖書を通してイエス キリストを知ったのであり、父・子・聖霊なる神と出会ったのである。
 教会の学としての神学において、わたしは「聖書は神の言葉である」という信仰はゆずれない。

主は生きておられる(エレミヤ 4:2 新共同訳)