聖書通読のために 26
思い巡らす meditation meditado
神の思いに心を向けるために
マタイによる福音書 5:1-3(新共同訳)
イエスの許に連れてこられた多くの病人が癒やされ、それを聞いた大勢の人たちがイエスの許にやって来た。
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた」。そして、人々に教えられた。
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」。
この箇所は(12節まで)、山上の説教(昔は山上の垂訓)と言われる。
「心の貧しい人々は幸いである」。
この言葉を聞いて、わたしは「なぜ」と考える。
理由は「天の国はその人たちのもの」だから、と言われている。
しかし、理由を聞いても納得がいかない。経済的には少々貧しくても、心は豊かでありたい、あった方がいいと思える。天の国が自分のものになるなら、心が貧しくてもいいとはなかなか思えない。けれど、主は「幸いである」と言われる。
この箇所で説教したこともある。注解書も説教集も何冊も読んだ。「心の貧しい」の解釈は理解した。しかし、心が、気持ちが付いていかない。あぁ、自分はイエス様の思いを受け入れられない罪人なのだなぁ、と思う。
何度読んでも立ち止まり、思い巡らす聖句である。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)