聖書通読のために 19
思い巡らす meditation meditado
神の思いに心を向けるために
マタイによる福音書 4:3, 4(新共同訳)
荒れ野の誘惑の第1。
空腹になったイエスに、誘惑する者が言う。「これらの石がパンになるように命じたらどうだ」。
さすがは誘惑する者。とても上手な誘惑である。以下の2つの誘惑も同様である。
これのどこが誘惑なのか。これの何が悪いのか。誰かから奪うのではない。自分のできることをするだけである。しかも、命のために。
しかし、言葉にされていない思いがある。「神はあなたのために何もしてくださらない。あなたには力があるのだから・・・命じたらどうだ」。
この誘惑は、神を信じて生きる、神により頼んで生きる信仰を揺さぶるものである。
イエスは答える。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」。申命記 8:3の引用。
食べ物は大事である。主の祈りでも「必要な糧をきょう与えてください」(マタイ 6:11)と祈るように教えられている。
しかし、食べ物が第一なのではない。生きることの源、第一のことは、命の創造主である神ご自身である。イエスはそれを証しされた。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)