聖書通読のために 15
思い巡らす meditation meditado
神の思いに心を向けるために
マタイによる福音書 3:7-10(新共同訳)
ファリサイ派は、ユダヤ教の一派で、神の戒め(律法)を厳格に守ろうとしたグループ。自分たちこそ神に従う真のイスラエルである、と自負していた。
サドカイ派も、ユダヤ教の一派。祭司階級で、信仰は現実的、世俗であったと言われている。使徒言行録 23:8には「サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い」とある。
「ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来た」とあるが、彼らがなぜヨハネの洗礼を受けに来たのか、理由が分からない。彼らはそれぞれに力あるグループで、自負もあるから、ヨハネが評判の人物であっても、ポッと出のヨハネから洗礼を受けたいと思うとは想像しづらい。
ヨハネは彼らに「悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しい言葉を投げかける。
救いは、神とのよい関係を回復し、神と共に生きること。洗礼という儀式を受けたら大丈夫なのではない。悔い改め=神に立ち帰る、ことが必要である。ヨハネは「悔い改めに導くために・・水で洗礼を授けている」と言っている。
喜びあれ(マタイ 28:9 岩波版)