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教理による黙想の手引き 02

教理による黙想の手引き 第2回
日本キリスト教会発行 福音時報 2015年2月号掲載
 掲載時のコーナータイトルは「教理を学ぶ - 説教で聞く教理 -」)

 

「あがめる」

「われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。われらの神、主は聖でいらせられるからである。」

           (詩篇 99篇 9節 口語訳)

 

 人はどのようにして生ける真の神を知るのでしょうか。モーセイスラエルの人々は神の御業を経験し、神を知りました。「主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。」(出エジプト15:2)

 生ける真の神と出会うとき、人は神を讃えます。旧約の詩人も、神の御業を見、神を讃美します。詩人は、神が世界を統べ治める王であられることを知りました。世界が神の御手の内にあることを知ったのです。
 「主は王となられた。もろもろの民はおののけ。
   主はケルビムの上に座せられる。地は震えよ。
  主はシオンにおられて大いなる神、
    主はもろもろの民の上に高くいらせられる。
  彼らは
   あなたの大いなる恐るべきみ名を
    ほめたたえるであろう。
  主は聖でいらせられる。」(詩篇99:1〜3)
 詩人は告白します。「主は聖でいらせられる。」(同99:3)

 聖とは、他の何者(物)とも一緒にすることのできない区別されたものを表します。「主は聖である」とは、神だけが唯一神(かみ)であられるということです。

 詩人は、神が「正と義とを行われ」(同99:4)るのを見ました。神の言葉、神の御業が民の中に正と義を生み出し、打ち立てていくのを知りました。生ける真の神が民と共にいてくださるのを知りました。
 詩人は告白します。「主は聖でいらせられる。」(同99:5)

 詩人は、神が民の呼び声に答えてくださるのを知りました(同99:6~8)。神を証しする者となるように、神に従い命の道を歩めるようにと(同99:7)。神はその民を顧み、絶えず関わり交わってくださいます。「われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。」(申命記4:7)
 比類なき神を知った詩人は告白します。「われらの神、主は聖でいらせられる。」(詩篇99:9)

 詩人の告白は、セラピムの讃美と呼応します。「聖なるかな聖なるかな聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ。」(イザヤ6:3)
 神を知り、喜びに満たされた詩人は、神との出会いへと皆を招きます。「われらの神、主をあがめ・・拝みまつれ。」(詩篇99:5)「われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。」(同99:9)

 あがめるとは「この上ないものとして敬う」ことです。聖なる神をこの上ないものとして敬うように勧めています。あがめるのは、聖なる神にこそふさわしいのです。全地を統べ治める王、高きにいます方、正と義を行われ、民に答えられる聖なる神にふさわしいのです。

 神は、わたしたちが神と出会い、神との交わりに与ることができるように、礼拝へと招いてくださいます。わたしたちは、礼拝において神の声を聞き、神の言葉を通して神の御業を知ります。御前に立ち、聖なる神と出会ったわたしたちは、詩人と同じく祈り、賛美、告白を通して、神をあがめるのです。
 生ける真の神と共に歩むわたしたちには、神をあがめるのがふわさしい。だから主の祈りも「御名があがめられますように(御名が聖とされますように)」(マタイ6:9)と祈りなさいと教えているのです。

 礼拝を通して神の救いの御業を告げられたわたしたちは、救い主イエス・キリストを知りました。そしてイエス・キリストが子なる神であられることを知ったのです。だから日本キリスト教会信仰の告白は「わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリスト」と告白するのです。

 神を知るわたしたちの信仰は、旧約の詩人の信仰と同じです。この詩篇99篇は、わたしたちの祈りであり、讃美であり、告白です。わたしたちは、聖なる神との出会いを重ねつつ、代々にわれらの神、主をあがめるのです。

ハレルヤ