聖書の言葉を聴きながら

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ローマ人への手紙 1:1〜4

2016年10月30日(日)主日礼拝
聖書箇所:ローマ人への手紙 1:1~4(口語訳)

 

 聖書は旧約と新約の2つ部分からなります。そして新約には27の文書が収められています。その内4つの福音書と使徒行伝、ヨハネの黙示録以外の21の文書は手紙、書簡です。その書簡の最初に置かれているものが、このローマ人への手紙です。その名のとおりローマの教会の人々に対して書かれた手紙です。
 ローマはローマ帝国の首都で、世界最大の都市でした。ローマ帝国はユダヤ王国も支配下に治めていました。それで、ローマには多数のユダヤ人が住んでおり、ユダヤ教の会堂もあったと言われています。そこにキリストの福音が伝えられていきました。ローマ帝国の第1言語は、ラテン語です。しかし、教会ではギリシャ語が使われていたようです。この手紙だけでなく、新約はギリシャ語で書かれています。これはマケドニア王国のアレクサンドロス大王ギリシャからインドに至る広範な領土を支配することによって、ギリシャ語が当時の共通語となったことに由来します。ローマ帝国地中海世界を支配するようになっても、ギリシャ哲学、ギリシャ悲劇など、その類い希なる文化、そして世界中を巡る経済活動によって、ギリシャ語は紀元1世紀の共通語として使われていました。世界史の教科書に記されているような出来事とも絡み合って、キリストの福音は世界に宣べ伝えられていきました。

 このローマ人への手紙は、パウロの自己紹介から始まります。パウロはまだローマに行っておりません。しかし彼は、地の果てまで福音を伝えたいと願っていました。1:15では「わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えること」と語り、15:28では「あなたがたの所をとおって、イスパニヤ(スペイン)に行こうと思う」と述べています。
 ローマの教会は、ローマに住むユダヤ人たちを核として始まりました。ですから、どうしても律法を重んじるユダヤ教の影響が残ります。パウロはそのようなローマの教会の様子を耳にして、律法の遵守によって義とされるのではなく、キリストの救いの御業によって義とされるキリストの福音を伝えることを願い、この手紙を書きました。
 パウロはこの手紙をこのように書き出します。「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから」(1節)
 自己紹介は、相手に自分を理解してもらうためにします。この手紙を書いたとき、パウロはまだローマに行ったことがありませんでした。まだ見ぬ教会の人たちに自己紹介をするのに、パウロは「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となった」と書いています。

 まずパウロは自分がイエス・キリストの僕であることを明らかにします。僕という単語は普通「奴隷」と訳されます。パウロは、この手紙は自分の意見陳述ではなく、主であるイエス・キリストを伝えるために書いたものであることを明らかにしています。

 パウロがキリストの僕とされたことについて「神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となった」と述べています。ここに「福音」という言葉が出てきます。福音とは「よい知らせ」という意味です。「神の福音」とは、神がわたしたちのために用意してくださったよい知らせ、という意味です。ですからここは、「わたしパウロは、神がわたしたちのために用意してくださったよい知らせを伝える務めに選ばれ、召し出された」ということを述べています。「使徒」という言葉は、遣わされた者という意味です。

 そして「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたもの」(2節)と福音について語り始めます。この神が用意してくださったよい知らせは、昔から預言者たちによって語られ、旧約の中に記されているもの、神によって約束されていたものだ、と語ります。つまり、今、自分が勝手に語るのではなく、遙か以前から神が約束していてくださるもので、聖書を開いてみれば確認できる、と言っているのです。

 そしてこの福音は「御子に関するもの」で、「御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」(3, 4節)とパウロは語ります。
 「肉によれば」の部分は、「聖書の中で、あらかじめ約束されたもの」として語られています。歴代誌上17章11〜13節で、神はダビデに約束されました。「わたしはあなたの子、すなわちあなたの子らのひとりを、あなたのあとに立てて、その王国を堅くする。彼はわたしのために家を建てるであろう。わたしは長く彼の位を堅くする。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしは、わたしのいつくしみを、あなたのさきにあった者から取り去ったように、彼からは取り去らない。」この約束のとおり、神はダビデの子孫に救い主を生まれさせてくださいました。その方は、神の御子であり、神から生まれた神よりの神であるお方です。
 そして「聖なる霊によれば」の部分は、神が救いの御業を成就してくださったことを語っています。復活というあり得ない出来事において、神の力をもって「神の子」であると定められた、断定されたのです。十字架では、弟子たちは躓き逃げてしまいました。復活の主に出会って、イエスは救い主であることを、改めてそして確信を持って知ったいったのです。パウロはそれを受けて、この復活によって聖なる霊によればこのイエス キリストは、死人からの復活により、御力をもって神の御子と断定された。このことは明らかにされた。このようにパウロは述べているのだと思います。

 この肉体をとり、人となって、ダビデの子孫から生まれ、救い主の生涯を全うし、死を打ち破り、死者の中から力をもって復活された、神のひとり子イエス キリストこそ、神の福音、神がわたしたちのためにもたらしてくださったよき知らせそのものなのです。

 ローマの教会は、ローマに住むユダヤ人たちを核として始まりました。ですから、どうしても律法を重んじるユダヤ教の影響が残っていました。パウロはそのローマの教会の人々、まだ会ったことのないローマの人々に、神の福音であるキリストのよき知らせを正しく伝えるためにこの手紙を書いたのです。

 最後に「主」について触れておきます。4節に「これがわたしたちの主イエス・キリストである」と書かれています。パウロがこの手紙を書いた時代、主がいるということは当たり前のことでした。奴隷がいて、主人がいる。領主がいて、国王がいる。この手紙の宛先であるローマにおいて、主と言えば、ローマ皇帝でした。その当たり前の世界に向かって、わたしの主はイエス キリストであって、わたしはキリストの僕、奴隷である、と宣言しているのです。これは迫害のきっかけにもなりかねない危険な言葉です。
 元々、神の御業は罪を打ち砕くので、罪の世に生きているわたしたちには危険なものなのです。わたしたちの生き方、社会のあり方を変える危険なものなのです。パウロ自身、復活のキリストに捉えられ、迫害者から伝道者へと回心しました。ユダヤ教からは裏切り者とされ、キリスト教会では迫害者だった男と見られました。本当にキリストに依り頼むより他にない人生を歩むことになりました。
 ところで、現代の日本は主人をほとんど意識することのない社会です。わたしたちは奴隷ではなく、人権が法律によって保障されています。多くの人が、自分の人生の主人は、自分自身だと思っています。わたしの人生をどう生きるかはわたしの自由だと思っています。そういう時代、社会の中で、イエス キリストを主とする神の福音が拒絶される、伝道が困難になっていくのは、当然のことのように思います。この時代、この社会にとっても、神の御業は危険なのです。
 いつの時代も、罪の世は神の御業に敵対します。しかし、どのような時代、どのような社会であっても、神の言葉は空しくなることはありません。神の約束がイエス キリストにおいて成就したように、神の言葉は出来事となり、実現していきます。今ここが歴史の終着点ではなく、神の国が到来するその日まで、神の言葉はこの世を、そしてこの世で生きるわたしたちを変えていきます。イエス キリストを主とし、イエス キリストによって新しい永遠の命を受けて、新しく生き始める神の民、神の子とわたしたちを変えていきます。

 わたしたちは毎週、礼拝において信仰告白をします。その告白で最初に告白するのが「わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリスト」です。パウロの自己紹介と同じように、わたしたちも「わたしたちの主はイエス キリストである」と告白しています。時代が穏やかなときには、お題目のように唱えているだけのように思われるかもしれません。しかし、この言葉は罪にとっては危険な言葉、わたしたちを神の子と変えていく力ある言葉なのです。
 今、わたしたちもパウロと同じようにキリストに従うキリストの僕です。わたしたちも神の選びを受け、神に召し出されて、今ここに集っています。神に召されずして神の御許に立ち帰れる者は一人もいません。ですから、実はわたしたちもパウロと同じです。そして、わたしたちもキリストを主と信じて、キリストに従って歩んでいます。キリストの僕パウロが、神の福音であるイエス・キリスト、その御業を伝えるために書いた手紙を、わたしたちも聞き始めました。ローマの教会の人々と同じように、今わたしたちもパウロを通して、イエス キリストが誰なのか、イエス キリストの御業はいったい何だったのか、そのことを聞くことはとてもとても大切なことだと思います。2000年の時を超えて、神が自らの言葉として選び用いられたこの手紙を通して、神が今もわたしたちに語りかけておられます。わたしたちは、今もわたしたちの救いのために語りかけてくださる生ける真の神を知ることになるでしょう。

 

ハレルヤ