聖書の言葉を聴きながら

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ルカによる福音書 2:21〜40

2015年12月27日(日)主日礼拝

 

聖書箇所:ルカによる福音書 2:21〜40(口語訳)

 

 イエスがお生まれになって8日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、天使が告げたとおりイエスと名づけました。イエスとは「神は救う」という意味だと言われています。特別珍しい名前ではなく、よく使われる名前の一つのようです。

 

 マリヤは律法に従い、きよめの期間を過ごしました。レビ 12:2〜4にはこう書かれています。「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。」汚れについての説明は省略しますが、この規定により信仰熱心な人の「いつまでも休んでいないで、礼拝し、神に感謝を献げなさい」といった言葉から守られ、休むことができるのです。
 その期間が過ぎると、出エジプト 13:12「あなたは、すべて初めに胎を開いた者、およびあなたの家畜の産むういごは、ことごとく主にささげなければならない。すなわち、それらの男性のものは主に帰せしめなければならない。」との規定に従って子どもを主にささげ、清めの献げ物をします。レビ 12:6〜8にはこう書かれています。「男の子または女の子についての清めの日が満ちるとき、女は燔祭のために一歳の小羊、罪祭のために家ばとのひな、あるいは山ばとを、会見の幕屋の入口の、祭司のもとに、携えてこなければならない。祭司はこれを主の前にささげて、その女のために、あがないをしなければならない。こうして女はその出血の汚れが清まるであろう。これは男の子または女の子を産んだ女のためのおきてである。もしその女が小羊に手の届かないときは、山ばと二羽か、家ばとのひな二羽かを取って、一つを燔祭、一つを罪祭とし、祭司はその女のために、あがないをしなければならない。こうして女は清まるであろう。」
 ルカによる福音書は「「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と記していますから、ヨセフとマリヤは子羊を献げるだけ豊かではなかったということでしょう。

 

 ヨセフとマリヤは、イエスを連れてエルサレムへ行き、神殿に向かいました。そこには神が備えられた二人の人、シメオンとアンナが彼らを待っていました。

 

 シメオンは「正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んで」いました。「慰め」という言葉で有名なのは、イザヤ 40:1「あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ」です。これは裁きの時が過ぎ去り、裁きから解放される場面の御言葉です。つまり「イスラエルの慰められるのを待ち望む」とは、救い主が現れ、神の民が罪から救い出され、裁きから解放されるのを待ち望んでいたということです。シメオンは聖霊が宿り、聖霊の示しを受けていました。それは「主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはない」という示しでした。シメオンが聖霊に導かれて神殿に入ると、幼子と両親に出会いました。シメオンは幼子を抱かせてもらい、神を誉め讃えました。「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります。」(29〜32節)
 ヘブル 11:39には「これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった」と記されていますが、シメオンは神の約束は真実で成就されるものであることの証人です。そして聖霊の示しにより「この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光」であることを証しするのです。シメオンは神を信じた喜びに満たされて、地上の生涯を終えるのです。

 

 シメオンは両親を祝福し、マリヤに預言します。「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです。」(34, 35節)シメオンは幼子の未来に待つ苦難を預言します。それは「人の心にある思いが、現れるようになる」からです。イエスの前に立つと、何を大事にしているのか、何に依り頼んでいるのか、何を願っているのかが明らかになるからです。エデンの園でそうであったように、罪は自らを隠そうとします。自らも気づかぬふりをしているのに、明らかにするものを罪は憎むのです。シメオンは、救い主がイザヤの預言した苦難の僕であることを告げるのです。

 

 次いで、アンナという女預言者が現れます。未亡人として長年生きてきた84歳になる女性です。彼女は神殿を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって神に仕えていました。彼女はイエスに近寄り、神に感謝をささげました。そして、イエスのことをエルサレムの救いを待ち望んでいるすべての人々に語り聞かせました。

 神は、人生の終わりを喜び満たす救いの証人としてシメオンとアンナを選ばれました。そして二人は自分たちの予想と期待を超えるものを見ました。それは、イスラエルだけでなく万民の前に備えられた救い、異邦人を照す啓示の光、神の民の栄光です。エルサレムの救いを待ち望んでいるすべての人々に、自分たちの思いを超える救いを語り聞かせたのです。

 

 ルカは、イスラエルだけの救いではなく、すべての人の救いが来たことを伝えるために、この出来事を書いたのです。

 

ハレルヤ