聖書の言葉を聴きながら

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聖書通読

聖書通読のために 88

マタイによる福音書 10章 24~25節(聖書協会共同訳) 「弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分」と言われる。具体的には「家の主人がベルゼブルと言われるなら、その家族の者はなおさら悪く言われる」と、キリストに従っていくとき、そこに…

聖書通読のために 87

マタイによる福音書 10章 21~23節(聖書協会共同訳) イエスに従うのがためらわれるような言葉が語られる。 わたしも牧師になるため神学校に行くと言ったとき、父と大げんかになった。「お前とは親でも子でもない」と言われた(実際はそうはならなかったが)…

聖書通読のために 86

マタイによる福音書 10章 16~20節(聖書協会共同訳) 「蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」。一体どうしたらそのようになれるのだろうか。 さらに「何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される」「語るのはあなたが…

聖書通読のために 85

マタイによる福音書 10章 9~15節(聖書協会共同訳) 派遣される者は、支えてもらう必要があるようである。 わたしが属する教会では、牧師は給与ではなく、謝儀を頂く。(税務署には給与として報告される)労働の対価ではなく、生活を支えて頂いて福音宣教を…

聖書通読のために 84

マタイによる福音書 10章 5~8節(聖書協会共同訳) イエスは十二弟子を遣わされる。派遣される者にイエスは指示を出す。遣わされた者は、主の指示(委託)に従う。主の御心をなすのである。 一人ひとり主の弟子(キリスト者)は、主の御心を祈り求め、聖霊の…

聖書通読のために 83

マタイによる福音書 10章 1~4節(聖書協会共同訳) 12弟子の名前が記されている。 ガリラヤの漁師、徴税人、熱心党、裏切り者。彼らには務めが託された。なぜ他の人ではなく、彼らが選ばれたのかは分からない。選びは、神の不思議な御心による。全員、十字架…

聖書通読のために 82

マタイによる福音書 9章 35~38節(聖書協会共同訳) 神は共に働く者を求めておられる。教える者、宣べ伝える者、癒やす者。 罪の世にあって、人は弱り果て、打ちひしがれている。主は民を憐れんでおられる。 しばしば牧師となる者が起こされるように、と語ら…

聖書通読のために 81

マタイによる福音書 9章 32~34節(新共同訳) 悪霊に取り憑かれて口の利けない人の癒やしの記事である。しかし、癒やしそのものよりも、群衆が「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と驚き、ファリサイ派の人たちが「あの男は悪霊の頭の…

聖書通読のために 80

マタイによる福音書 9章 27~31節(新共同訳) 目が見えるようになること、それこそが二人の盲人の切なる願い。ダビデの子イエスが自分たちを憐れんでくれるなら、その願いは叶うと二人は信じている。 ダビデの子とは、救い主を指す称号である。参照:サムエ…

聖書通読のために 79

マタイによる福音書 9章 20~22節(新共同訳) 「あなたの信仰があなたを救った」不可解な言葉である。 この女性の「服に触れさえすれば」というのは、わたしには御利益信仰にしか思えない。彼女は病気が治ることを願っていたのであって、イエスに従っていこ…

聖書通読のために 78

マタイによる福音書 9章 18~19, 23~26節(新共同訳) 指導者の娘が死んだ。しかし彼は、イエスが手を置けば、娘は生き返ると期待した。 イエスが指導者の家に行くと、葬儀の準備が始まっていた。イエスは言う。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない…

聖書通読のために 77

マタイによる福音書 9章 14~17節(新共同訳) 時は止まらない。そして時は神の領分である。 アダムとエバが罪を犯し、人が罪を抱えてから、イエス キリストが来られるまで長い時間がかかった。いつ生まれいつ死ぬのか、いつキリストと出会うのか、それは神が…

聖書通読のために 76

マタイによる福音書 9章 9~13節(新共同訳) イエスは徴税人や罪人と食事をされる。自らの清さを求める人たちはこれを理解できなかった。これは、神の御心を理解していないからだとイエスは言う。(『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』…

聖書通読のために 75

マタイによる福音書 9章 1~8節(新共同訳) 一番疑問なのは、5節「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」である。断然「あなたの罪は赦される」の方が易しいと思う。それなら自分でも言える。しかしイエスは、…

聖書通読のために 74

マタイによる福音書 8章 28~34節(新共同訳) イエスは舟でガリラヤ湖の向こう岸、ガダラ人の地方へ行かれた。すると悪霊に取り憑かれた二人の人がやって来た。 悪霊はイエスを恐れていた。悪霊はイエスに向かって叫ぶ。「神の子よ、あなたはわたしどもとな…

聖書通読のために 73

マタイによる福音書 8章 23~27節(新共同訳) 生きることには、不安がまとわりつく。今の困難がどれほど続くのか。自分は耐えられるのか。この先が幸せにつながっているのか。それが分からない不安から自由になれない。 この記事は、弟子となって従っていて…

聖書通読のために 72

マタイによる福音書 8章 18~22節(新共同訳) イエスに従うということに関するエピソードが記されている。 ある律法学者が「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言うと、イエスは「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、…

聖書通読のために 71

マタイによる福音書 8章 16~17節(新共同訳) 一日の仕事が終わり、夕方になると、人々は悪霊に取り憑かれた者をイエスの許に大勢連れてきた。 悪霊に取り憑かれたとはどんな状態だろうか。ここでは「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた」と…

聖書通読のために 70

マタイによる福音書 8章 14~15節(新共同訳) イエスはペトロの家に行った。ペトロの家はどのくらいの大きさ、どんな間取りの家だったのだろうか。姑が熱を出して寝込んでいるのをご覧になった、とあるが、一間だけの小さな家だったのだろうか、それともペト…

聖書通読のために 69

マタイによる福音書 8章 5~13節(新共同訳) 百人隊長というのは、百人の兵隊からなる百人隊の隊長である。 彼は親切な人間であった。自分の家の僕が中風で苦しんでいるのを何とかしてあげたいと思っていた。 彼は賢い人だった。自分に委ねられている権威で…

聖書通読のために 68

マタイによる福音書 8章 1~4節(新共同訳) 重い皮膚病の人は、他の人がいる所には来てはいけなかった。他の人がいる場合には、大きな声で自分が重い皮膚病であることを告げ、他の人に汚れが移らないようにしなければならなかった。 イエスの周りには大勢の…

マラキ書 3:19〜24

家庭礼拝暦 (2018年5月31日) わたしの担当の5月はこれで終了 マラキ書 3章 19~24節(口語訳 4章 1~6節) 子の心を父に向けさせる(24節) 「見よ、その日が来る」と主は言われます。「高慢な者、悪を行う者」が焼き尽くされる「炉のように燃える日が。…

マラキ書 3:13〜18

家庭礼拝暦 (2018年5月30日) マラキ書 3章 13~18節 彼らはわたしにとって宝となる(17節) わたしたちの判断基準に「損か得か」という基準があります。今も「勝ち組・負け組」という言葉が使われます。この世にあっては、神に従うことが損だと思えるとき…

マラキ書 3:6〜12

家庭礼拝暦 (2018年5月29日) マラキ書 3章 6~12節 祝福を限りなく注ぐであろう。(10節) 預言者は悔い改めを告げます。しかし人々は「どのように立ち帰ればよいのか」とつぶやきます。神は十分の一の献げ物を指し示します。 この献げ物は、神への感謝、…

マラキ書 3:1〜5

家庭礼拝暦 (2018年5月28日) マラキ書 3章 1~5節 わたしは使者を送る(1節) 神は、ご自身の御業に仕える使者を送ります。使者は、神の御業に仕えることを通して神を証しします。新約を知るわたしたちは、この使者が洗礼者ヨハネのようにも思えますし、イ…

マラキ書 2:17

家庭礼拝暦 (2018年5月27日) マラキ書 2章 17節 主を疲れさせている(17節) 「あなたたちは・・主を疲れさせている」と言われると、わたしたちは「主が疲れるなどということがあるだろうか。聖書には『主は・・疲れることなく』(イザヤ 40:28)とあるで…

マラキ書 2:10〜16

家庭礼拝暦 (2018年5月26日) マラキ書 2章10~16節 裏切ってはならない(16節) なぜ契約を汚すのか、と主は問われます。それは、神と契約したということの大切さを認識していないからです。もう一つは、契約するのも解約するのもわたしの自由だと思ってい…

マラキ書 2:1〜9

家庭礼拝暦 (2018年5月25日) マラキ書 2章 1~9節 わが契約は命と平和のため(5節) 神がレビ(祭司)と結んだ契約は、命と平和のためのものでした。「彼は平和と正しさのうちに、わたしと共に歩み/多くの人々を罪から立ち帰らせ」ました。「彼こそ万軍の…

マラキ書 1:6〜14

家庭礼拝暦 (2018年5月24日) マラキ書 1章 6~14節 わが名は諸国の間であがめられている(11節) 祭司でさえ神を軽んずる状態になっていました。神に献げるものは、自分自身を神に献げるしるしです。しかし、神に献げるものを整える信仰はなくなってしまい…

ゼカリヤ書 13:1〜9

家庭礼拝暦 (2018年5月21日) ゼカリヤ書 13章 1~9節 「主こそわたしの神」と答えるであろう。(9節) 「その日」神の御業はなされます。神が「彼こそわたしの民」と言い、民は「主こそわたしの神」と答えることを目指して御業はなされます。 罪と汚れを洗…