聖書の言葉を聴きながら

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聖書通読

聖書通読のために 96

マタイによる福音書 11章 2~6節(聖書協会共同訳) 洗礼者ヨハネは、王の素行を批判したため牢に入れられてしまった。その牢の中のヨハネのところにまでイエスの噂が伝わってきた。ヨハネは自分の弟子たちを遣わしてイエスに尋ねた。「来たるべき方は、あな…

聖書通読のために 95

マタイによる福音書 10章 42節~11章 1節(聖書協会共同訳) わたしがキリストを信じるとき、わたしが救われるだけではない。キリストの弟子であるこのわたしにされたことは、たとえ冷たい水一杯であっても、キリストが報いてくださる。わたしが報いることが…

聖書通読のために 94

マタイによる福音書 10章 40~41節(聖書協会共同訳) イエスは「見えない神のかたち」(コロサイ 1:15)である。イエスを信じるとき、神を信じており、イエスを受け入れるとき、神を受け入れる。 イエスは遣わした弟子たちを受け入れる者は、イエス自身を受…

聖書通読のために 93

マタイによる福音書 10章 38~39節(聖書協会共同訳) イエスが言われる十字架の本質は、理解されないこと、拒絶されること、捨てられることである。自分の十字架を負うとは、自分が理解され、評価され、受け入れられることを第一にせず、イエスに従うことで…

聖書通読のために 92

マタイによる福音書 10章 37節(聖書協会共同訳) 神学校に行って牧師になると決めたとき、父から「勘当だ」と言われた。それで縁が切れた訳ではないが、考えが違うというだけでなく、自分はイエスに従っていくこと、つまり父よりも従うべき方がいるというこ…

聖書通読のために 91

マタイによる福音書 10章 34~36節(聖書協会共同訳) イエスに従うと、敵対が生じる。イエスに従うことを良としない罪が現れてくるからである。 罪は神ではないものに力を与える。神を中心に、共に神に従うのではなく、自分を中心に自分に従うことを求める。…

聖書通読のために 90

マタイによる福音書 10章 32~33節(聖書協会共同訳) 「人々の前で私を認める者」と言われる。ローマ 10:10では「口で告白して救われる」と言われている。こうしたことからわたしたちの教会では礼拝の中で公に信仰を告白することを大切にしている。 神の言葉…

聖書通読のために 89

マタイによる福音書 10章 26~31節(聖書協会共同訳) 「恐れてはならない」「恐れるな」は、神が何度も語られる言葉である。 つまり人は恐れるのである。 イエスがここで言われるのは「何を恐れなければならないのか」である。イエスは「神」を「命も体もゲ…

聖書通読のために 88

マタイによる福音書 10章 24~25節(聖書協会共同訳) 「弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分」と言われる。具体的には「家の主人がベルゼブルと言われるなら、その家族の者はなおさら悪く言われる」と、キリストに従っていくとき、そこに…

聖書通読のために 87

マタイによる福音書 10章 21~23節(聖書協会共同訳) イエスに従うのがためらわれるような言葉が語られる。 わたしも牧師になるため神学校に行くと言ったとき、父と大げんかになった。「お前とは親でも子でもない」と言われた(実際はそうはならなかったが)…

聖書通読のために 86

マタイによる福音書 10章 16~20節(聖書協会共同訳) 「蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」。一体どうしたらそのようになれるのだろうか。 さらに「何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される」「語るのはあなたが…

聖書通読のために 85

マタイによる福音書 10章 9~15節(聖書協会共同訳) 派遣される者は、支えてもらう必要があるようである。 わたしが属する教会では、牧師は給与ではなく、謝儀を頂く。(税務署には給与として報告される)労働の対価ではなく、生活を支えて頂いて福音宣教を…

聖書通読のために 84

マタイによる福音書 10章 5~8節(聖書協会共同訳) イエスは十二弟子を遣わされる。派遣される者にイエスは指示を出す。遣わされた者は、主の指示(委託)に従う。主の御心をなすのである。 一人ひとり主の弟子(キリスト者)は、主の御心を祈り求め、聖霊の…

聖書通読のために 83

マタイによる福音書 10章 1~4節(聖書協会共同訳) 12弟子の名前が記されている。 ガリラヤの漁師、徴税人、熱心党、裏切り者。彼らには務めが託された。なぜ他の人ではなく、彼らが選ばれたのかは分からない。選びは、神の不思議な御心による。全員、十字架…

聖書通読のために 82

マタイによる福音書 9章 35~38節(聖書協会共同訳) 神は共に働く者を求めておられる。教える者、宣べ伝える者、癒やす者。 罪の世にあって、人は弱り果て、打ちひしがれている。主は民を憐れんでおられる。 しばしば牧師となる者が起こされるように、と語ら…

聖書通読のために 81

マタイによる福音書 9章 32~34節(新共同訳) 悪霊に取り憑かれて口の利けない人の癒やしの記事である。しかし、癒やしそのものよりも、群衆が「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と驚き、ファリサイ派の人たちが「あの男は悪霊の頭の…

聖書通読のために 80

マタイによる福音書 9章 27~31節(新共同訳) 目が見えるようになること、それこそが二人の盲人の切なる願い。ダビデの子イエスが自分たちを憐れんでくれるなら、その願いは叶うと二人は信じている。 ダビデの子とは、救い主を指す称号である。参照:サムエ…

聖書通読のために 79

マタイによる福音書 9章 20~22節(新共同訳) 「あなたの信仰があなたを救った」不可解な言葉である。 この女性の「服に触れさえすれば」というのは、わたしには御利益信仰にしか思えない。彼女は病気が治ることを願っていたのであって、イエスに従っていこ…

聖書通読のために 78

マタイによる福音書 9章 18~19, 23~26節(新共同訳) 指導者の娘が死んだ。しかし彼は、イエスが手を置けば、娘は生き返ると期待した。 イエスが指導者の家に行くと、葬儀の準備が始まっていた。イエスは言う。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない…

聖書通読のために 77

マタイによる福音書 9章 14~17節(新共同訳) 時は止まらない。そして時は神の領分である。 アダムとエバが罪を犯し、人が罪を抱えてから、イエス キリストが来られるまで長い時間がかかった。いつ生まれいつ死ぬのか、いつキリストと出会うのか、それは神が…

聖書通読のために 76

マタイによる福音書 9章 9~13節(新共同訳) イエスは徴税人や罪人と食事をされる。自らの清さを求める人たちはこれを理解できなかった。これは、神の御心を理解していないからだとイエスは言う。(『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』…

聖書通読のために 75

マタイによる福音書 9章 1~8節(新共同訳) 一番疑問なのは、5節「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」である。断然「あなたの罪は赦される」の方が易しいと思う。それなら自分でも言える。しかしイエスは、…

聖書通読のために 74

マタイによる福音書 8章 28~34節(新共同訳) イエスは舟でガリラヤ湖の向こう岸、ガダラ人の地方へ行かれた。すると悪霊に取り憑かれた二人の人がやって来た。 悪霊はイエスを恐れていた。悪霊はイエスに向かって叫ぶ。「神の子よ、あなたはわたしどもとな…

聖書通読のために 73

マタイによる福音書 8章 23~27節(新共同訳) 生きることには、不安がまとわりつく。今の困難がどれほど続くのか。自分は耐えられるのか。この先が幸せにつながっているのか。それが分からない不安から自由になれない。 この記事は、弟子となって従っていて…

聖書通読のために 72

マタイによる福音書 8章 18~22節(新共同訳) イエスに従うということに関するエピソードが記されている。 ある律法学者が「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言うと、イエスは「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、…

聖書通読のために 71

マタイによる福音書 8章 16~17節(新共同訳) 一日の仕事が終わり、夕方になると、人々は悪霊に取り憑かれた者をイエスの許に大勢連れてきた。 悪霊に取り憑かれたとはどんな状態だろうか。ここでは「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた」と…

聖書通読のために 70

マタイによる福音書 8章 14~15節(新共同訳) イエスはペトロの家に行った。ペトロの家はどのくらいの大きさ、どんな間取りの家だったのだろうか。姑が熱を出して寝込んでいるのをご覧になった、とあるが、一間だけの小さな家だったのだろうか、それともペト…

聖書通読のために 69

マタイによる福音書 8章 5~13節(新共同訳) 百人隊長というのは、百人の兵隊からなる百人隊の隊長である。 彼は親切な人間であった。自分の家の僕が中風で苦しんでいるのを何とかしてあげたいと思っていた。 彼は賢い人だった。自分に委ねられている権威で…

聖書通読のために 68

マタイによる福音書 8章 1~4節(新共同訳) 重い皮膚病の人は、他の人がいる所には来てはいけなかった。他の人がいる場合には、大きな声で自分が重い皮膚病であることを告げ、他の人に汚れが移らないようにしなければならなかった。 イエスの周りには大勢の…

マラキ書 3:19〜24

家庭礼拝暦 (2018年5月31日) わたしの担当の5月はこれで終了 マラキ書 3章 19~24節(口語訳 4章 1~6節) 子の心を父に向けさせる(24節) 「見よ、その日が来る」と主は言われます。「高慢な者、悪を行う者」が焼き尽くされる「炉のように燃える日が。…